悪性リンパ腫再発2007年4月

母は王様

2007年4月2日

3日前に母がクリーンルームから出られたので、今日から帰省することにしました。
もうすぐ県境というところまで来て、父から電話が・・・。嫌な予感がしたけれど、みごとに的中してしまいました。母の白血球数が異常に減ったので(200まで下降)、またクリーンに逆戻りしたということでした(後になってからですが、骨髄に転移したために、このような減少が起こったのだと思いました)。 子供を連れての面会は難しくなるかもしれないけど、とりあえず向かうことにしました。
その電話の後、4歳の息子には『ばぁ(母)には会えないかもしれないよ』と話をしました。息子は泣きながら『何で会えないの?いつになったら治る?』と聞いてくるのですが、言葉が出ませんでした。

父が半休を取ったので、午後から一緒に病院に行きました。看護師さんからオムツの話などがあったので、父だけ病室に入って、私たちは外で待機していました。看護師さんが『少し会ってみる?』と声を掛けてくれたので、息子たちもチラッとだけ顔をみせてあげることができました。

この4月から弟は自宅から通勤可能な地域に配置になったので、夜、弟が帰って来てから、一緒に病院に出掛けました。弟に子供たちを見てもらっている間に、私は母の病室へ入りました。
アンパンを買って行ってあげる約束をしていたので、母は病院の夕食を全く食べずにお腹を空かせて待っていました。すごい勢いでアンパンを半分ほど食べました。

『ここにいると私は王様なんだけど、王様はもうやめたい・・・』母はそうポツリと言いました。確かに1ヶ月前に帰省した時よりも明らかに衰弱して、自力では寝返りをうつことさえ難しくなってしまった。意識は多少朦朧としているけれど、頭はしっかりしているので、そういう状況が悔しくて仕方ないのだと思います。

『何でこんなに苦しいんだろう。しんどい。辛い。』今まであまり聞いたことがない弱音も耳にしました。本当に辛いよね・・・。でもきっと元気になれるよ。そう信じて頑張って・・・。
子供たちがあまり長い時間大人しくしているわけもないので、20分ほどで病室を出ました。

2007年4月3日

午前中、母からは何の注文(食べたいものの注文)の電話もありませんでした。病院のお昼をちゃんと食べたのかな・・・。
おやつ時にこちらから電話してみると、『じゃあ、アイスクリームを食べてみようかな・・・』ということで、急いでアイスを届けに行きました。子供たちが一緒なので、私が食べさせてあげるわけにもいかないので、看護師さんに頼んですぐに帰りました。

夜、弟が帰って来てから、また病院に出掛けました。まず母の病室に行き、『何が食べたい?』と聞くと、『ヨーグルトが食べたい』ということでしたが、白血球が少ない時は発酵食品は避けた方が良いことを説明し、プリンに変更しました。
売店でプリンを買って来て、私が病室へ、弟が子供たちの子守りの予定でしたが、下の子が私から離れようとしなかったので、弟と役割分担を代わることにしました。

30分ほどして弟が戻ってきました。母はプリンを半分ほど食べたけれど、すぐに吐いてしまったようです。看護師さんが来て、吐き気止めを打ってもらって、やっと落ち着いたということでした。
せっかく頑張って食べても、吐いてしまったら・・・。少し前みたいに、何で吐き気止めを24時間入れっぱなしにしておいてくれないのかな・・・。

2007年4月4日

今朝は母からいろいろ要望の電話がありました。漬物、魚の佃煮、あんドーナツ、アイスクリームを持って来て欲しいということだったので、買い物に出掛けました。家庭で作った漬物はNGですが、市販のもので封を切ったばかりのものはOKなので、まずは仕入れに出掛けました。
母は『本当は1番食べたいのは魚(刺身)。でも治ってから大威張りで食べるから、今は我慢するわ。』と言っていました。

これが母との最後の電話になってしまいました。

準備をして病院に向いました。看護師さんが見当たらなかったので、そのまま病室に入りました。母に渡したらすぐに帰るつもりだったけれど、『食べさせて』と言うので、子供たちが大丈夫かな?と思いながらも、母の希望を聞いてあげることにしました。
ビニールカーテンを閉め切って、アイソレーターを最強にして、一応の対策は取りました。しばらくして看護師さんが入ってきて『まだ200だから・・(白血球数が)』と言うので、代わってもらってすぐに部屋を出ました。やっぱり・・・。

夕方、弟と一緒に病院に出掛けました。今日は夕食をわりと食べたので、今は特に食べたいものはないということでした。その直後、声を出しすぎたのが刺激になったらしく、激しい吐き気に襲われました。今日も下の子が私から離れなかったので、弟に任せて部屋を出ることにしました。

20分くらい経ってから弟が戻ってきました。『今日は結構食べていたみたい。吐いたものの量が昨日より3倍くらいはあった。』と。そうか・・・せっかく食べたのに、全部出ちゃったんだね・・・。頑張って食べたのにね。またまた疑問・・・というか不満が沸いてきました。
病院側は何で吐き気の対処をしてくれないの?母がどんなに頑張って食べたって、これじゃ意味が無くなってしまう・・・。せっかくの努力が無駄になってしまう。吐き気止めを常注できない理由が何かあるんだろうか?あるなら教えて欲しい。

(後に調べて分かったことですが、吐き気止め=プリンペランは消化管運動の亢進作用があるため、血小板が少ない状態にある母の場合、消化管出血などを引き起こす可能性があるために、投与が制限されていたのではないかと思います)

2007年4月5日

今日も午前中、病院へ行きました。母からリクエストが電話が無かったので、差し入れは今日もあんドーナツと菓子パンを買って行きました。
部屋に入ってみると、吐き気が強いみたいで、顔を横に向けて苦しそうにしていました。とてもじゃないけど、食べてみる?というような状態ではなかったので、テーブルの上に差し入れを置くと、すぐに部屋を出ました。

今夜も弟が帰宅してから一緒に病院に向かいました。売店で子供たちに【はたらくくるま】という本を買い与え、本に夢中になっている間に母の病室に入りました。
でも昼間来た時と同じで横を向いて苦しそうにしていて、声も出せない状態でした。アイスでも食べる・・・?という状況ではありませんでした。お茶を2口くらい飲ませてあげました。
昼間、テーブルの上に置いて帰った菓子パンが1つ減っていたので、食べてくれたようです。

とにかく苦しそうで、そうっとしておいてあげた方が良いと思い、15分くらいで部屋を出ました。相変わらず吐き気止めなるものは、点滴ボトルの薬品名には記載されていませんでした。どうして?こんなに苦しそうなのに・・・。

2007年4月6日

今日も母から食べたいもののリクエストの電話はありませんでした。何だったら食べられそうかな・・・?と考えて、漬物を持って行ってみることにした。
まずは新鮮な漬物(漬物を新鮮と言うのは疑問ですが・・・)を買いに走り、準備をして病院に向かいました。

今日もかなり苦しそうでした。それとも私が行く時がたまたまそうなの・・・?いや違う。きっと1日中、こんな感じなのでは・・・?
今は何も欲しくないと言うので、漬物をテーブルの上に置いて、すぐに部屋を出ました。

夕方、もう1度行ってみました。やっぱり苦しそうな状況は変わっていません。漬物は減っていませんでした。昼ごはんは食べていないのかな・・・?父が買って来ていた、おはぎとチョコレートを置いて帰りました。少しでも食べてくれたら・・と思うけれど、あの様子じゃ無理かもしれない。
ただ見守るしかできない。何もしてあげられない。どうして・・・。

肝臓の薬

2007年4月7日

午後から広島に帰るので、午前中、病院に行きました。やはり母の状況は変わらず・・・。行った時、横を向いて吐き気に襲われている最中でした。当然、話も出来そうにないので、心残りだったけれど、すぐに病室を後にしました。
この状況も、きっとあと数日のこと。きっと回復する。帰ったタイミングが悪かったんだ・・・。そう自分に言い聞かせながら。
今回の帰省は、結局、何もしてあげられませんでした。

気掛かりだったので、帰り際に看護師さんに母のことを聞いてみました。『吐き気があまりにもひどいけれど、何か緩和してあげられる方法はないですか・・・?』と。
すると3月30日に抗がん剤を投与していたことが発覚しました。父も弟も私も母本人も、誰1人それを知りませんでした。
看護師さん曰く、副作用が強く現れる時期であるために、今のような状況なのだということでした。吐き気止めは既に点滴の中に少量入っているけれど、状況に応じて対処してくれると言ってくれました。

看護師さんから、『最近、先生から何か聞かれてないですか?』と逆に聞かれました。1週間前に移植中止の話は聞いたけれど、それ以外は全く・・・。
その時は意味が分からなかったけれど、今となってみては、看護師さんの言葉は、母の深刻な状況を指すものだったのだと思います。

点滴ボトルに【強力ネオミノファーゲンシー】という見慣れない薬品名を見つけました。病院から帰るとすぐに弟に調べてもらい、肝臓(肝炎)の薬であると分かりました。何で肝臓の薬が・・・?と弟と首をかしげていました。
その時は疑う余地もありませんでした。その時はまだ・・・。

2007年4月8日

今日、弟から電話で聞かされた話です。
午前中、父が母のところに行った時、『私はもうダメなんだろうか・・・』と漏らしたそうです。まさか母の口からそんな弱気な言葉が出るなんて、思いもしませんでした。なかなか白血球も上がってこないし、吐き気はいつまでも治まらないし、不安は最高潮に達しているのだと思いました。

母は3月30日に抗がん剤を投与したことを多分、知らないだろうと思ったので、そのことを話して安心させてあげるように弟に伝えました。母はやっぱり分かっていなかったようで、『あ、そうなの・・・』と言ったそうです。これで今の自分の状況を理解して、余計な不安が無くなると良いんだけど・・・。

でも白血球がなかなか回復してこない原因は、間もなく全て分かるのですが、実はもう1つあったのです。母には分かっていたのでしょうか・・・?

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