悪性リンパ腫再発2007年3月

外泊・・・良かったのかな?

2007年3月1日

病院と家を往復するよりは、ずっと家にいられる方が子供たちをたくさん遊ばせてあげられるし、家を留守にしないで済む分、家事などを行う上でも、都合が良いことばかりだったので、外泊大歓迎でした。母もとても家に帰りたがっていました。念願の外泊だったはずですが・・。

昨日の血小板輸血が終わった頃から、痺れが一層ひどくなり、全く足が立たなくなってしまいました。トイレや食事などで移動する時は、何か掴まるものがあるところまでハイハイで移動し、掴まって立ち上がろうとするけれど、なかなか立ち上がれません。
こちらが手を貸そうとしても、母は『自分の為にならないから』と言います。見守るしかありませんでした。

実家はバリアフリー住宅ではないので、もちろん手すりは無いし、段差もあります。平らなところを歩くことさえ不自由な母にとって、自宅はとても過ごしにくい場所になってしまったのです。
病室ならば、寝床はベッドなので、比較的立ち上がりやすいし、母用にいろいろ手すりを付けてもらったし、トイレはベッド横にすぐあるし、無理なく過ごせる環境になっています。

今回は母の強い希望があって長めの外泊にしてもらったにも関わらず、こんな状況だったので、『今後、家に帰る自信がない・・』と漏らしました。その言葉を聞いて、悲しくなりました。
でも母がそう思うのなら仕方ありません。病院で唯一問題なのは食事面なのだから、それ以外が快適であるのなら、食事面で助けてあげれば良いのです。とは言っても、私は近くに住んでいない以上、いつも面倒を見てあげられない・・・。どうしたら良いんだろう・・・。

2007年3月2日

今日も変わらず痺れに悩まされていました。日によって波もあるし、こんな日ばかりが続くとは思わないけれど、よりによって外泊の時に・・・。外泊する数日前には、『痺れが少し治まって、足がいつもより動かせるから、歩く練習をした』という話もしていました。
外泊の唯一の楽しみとも言える【入浴】もこんな状況なので中止にしました。昨日は何とか入れました。
でも今日は右目がいつもより見えるようです。目の調子も日によっていろいろだけど、目が見えるだけでも良かった・・・。

外泊3日目、今までずっと食欲はまずまずでした。食事の献立は、全て母の希望で決めています。家に帰って来た日(28日)のメインはステーキ丼、昨日は焼き鯖寿司、今日はハッシュドビーフ&オムレツ・・・食べ残してもいいからと思い、いつもの母の量よりちょっと多めに盛り付けておいたのに、全部食べていました。
病院食なら残してしまおう・・・と思っても、家での食事となると、作った人の顔が見えるので残すわけにはいかないのかもしれません。

外泊終了

2007年3月3日

週末になって弟も帰って来たので、今日は1週遅れの父の誕生日と退職祝い(祝いって言うのでしょうか?)を兼ねてケーキを作りました。
母は夜には病院に戻らなければならないので、『最後にお風呂に入れるのなら、入ってから行きたい』と言っていました。いつでも入浴介助できるようにスタンバイしていましたが、結局、無理でした。

最後の晩餐(と言うほど、オーバーなものでもありませんが・・)は焼肉にしました。病院食でも時々、肉が出てくることはあるようですが、よ~くよく火を通してあるので、ガチガチで美味しくないらしいのです。

8時前に母を病院に送り届けました。食事も着替えも済ませ、すぐ寝れるように準備万端で行きました。
点滴を刺すわけでもないし、本当に寝るだけの為に戻ったようなものなので、明日の朝でも良かったのかもしれないけれど、母が過ごしやすいところにいるのが1番良いので、これで良かったのだと思います。

2007年3月4日

午前中、買い込んでいたペットボトル茶とお菓子を持って、病院に行きました。
昨日までの疲れが出たのか、少々ダルい様子。自宅では床から立ち上がる動作をしなければならないので、普段以上に体力を消耗することになります。それに加え、普段使わない筋肉も使うことになるので、筋肉痛も発症してしまったようです。

今日はまた日差しが強くなり(午前の時点で20℃以上)、母の病室は真南向きなので温室状態でした。
あまりに暑かったので、おやつにアイスクリームを食べました。『何が良い?』と聞くと、『美味しそうなやつ』という答えだったので、ちょっと贅沢して、ハーゲンダッツのバニラを買って来て食べました。

アイスクリームを食べていると、看護師さんが体温と血圧の測定に入ってきました。熱は無かったけれど、血圧がいつもより低く、最高血圧が70しか無かったので、安静を言い渡されました(最高血圧の正常値は成人で130以下。100以下を低血圧という)。母は元々低血圧で上が80ちょっとくらいですが、70は低いかもしれない・・・。それもダルさの原因だったのかもしれません。
夕方、私は広島の自宅に帰り着き、母に連絡をしてみると、相変わらず低いままで安静解除にならないようです。自宅で動きすぎたのが原因?

寝たきりに・・

2007年3月5日

母は外泊時から痺れが悪化していたけれど、最高潮に達してしまったらしく、全く動けなくなってしまいました。部屋にあるトイレに行くのはもちろん、ベッド横のポータブルへも自力で移動することは出来ず、とうとう寝たきりです。
どうしてこんなに強く痺れが起きるんだろう・・・。抗がん剤の副作用だとは思うけれど、ちょっと異常過ぎるような気がします。何とかならないのかな・・・。

2007年3月9日

母の痺れは良くなる傾向はなく、寝たきりのままです。仮に痺れが弱まっても、立つことが自体が怖くなってしまったとか・・・。
『私はもうずっとこのまま寝たきりかもしれない・・』と今日も嘆いていました。『今は治療中だから仕方ないよ』としか言ってあげられません。本当にこのままなの?家にも帰れなくなってしまうの?

痺れの改善は、抗がん剤終了後、半年が目安だとよく聞きます。でも母の場合は初発の治療終了後、2ヶ月で再発し、すぐにまた抗がん剤を使い始めました(ロイスタチン)。それに初発治療で効果を発揮したESHAPは、投与後数ヶ月経ってから強い痺れが現れることが多いと聞いたことがあります。
マイナス要素にマイナス要素が重なってしまった結果が、今の母の状態なのかな・・・。こんな状態で4月に移植が受けれるのかな・・・。母の体が持ち堪えるのかな・・・。

あまりにも症状がひどいので、神経内科の先生の診察も受けたようです。MRIなどもしたけど、病的な原因はなく、やはり抗がん剤の副作用ということでした。
既に痺れを緩和する薬は処方されているので(11月頃からずっと服用中)、新たに薬も出るわけではなく、解決の糸口は掴めませんでした。

2007年3月11日

母は一昨日の夜から大部屋に変わりました。重症患者さんに部屋を譲らなければならなくなったのが理由のようです。決して母の足が回復したわけではなく・・・。トイレは、ついに管になりました。

でも大部屋に変わって、少しは気分転換になるかもしれません。管は嫌かもしれないけど、その代わりにプラスになることもあって良かったと思います。
弟の話では、今日もまたおやつに【おはぎ】をペロリと平らげたようです。食欲はまずまずなので、その点は安心です。

化学療法3クール目

2007年3月12日

化学療法3クール目開始です。連続5日投与でした。

2007年3月14日

大部屋に変わってから、少し電話がし辛くなったのですが、気掛かりだったので電話してみました(病室での携帯電話の使用が認められています)。

すると・・・
意外と元気そうでした。やはり『トイレで用を足したい』という思いが強かったので、看護師さんの力を借りてトイレまで歩いて行っているそうです。昨日、今日と、少し痺れが治まっていて、支えてもらうと少し足が立つようです。

今までを見ていても波があるから、この先またどうなってしまうのかは分からないけれど・・・。でも良かった。食欲もまずまずあるようです。このまま全て上向きに進んでくれればいいのにな、と思います。

ヒヤリとした出来事

2007年3月17日

弟からの電話で、母の容態がおかしいと聞かされました。弟はかなり動揺していました。
個室に戻り、入り口には面会謝絶の札、ベッドの上にカーテンが吊るされてクリーン仕様になっているし、食欲が無いし、息苦しそうにしている・・・と。3日前には元気そうに電話で話していたのになぜ?まさか間質性肺炎を起こしてしまったのでは?頭の中をいろんな事がグルグル回っていました。

事実を確認してみると、こうでした。
12日から化学療法の3クール目を開始していましたが、弟も私もそのことを知りませんでした。今まで幸いにも急性の副作用が強く出ることがなかったのに、今回はそれがひどく出てしまったために苦しそうにしていたようです。そして白血球が激減してしまったので、クリーンになったようです。
聞けば納得・・・。力が抜けた出来事でした。

2007年3月18日

夜、母から電話がありました。多分、父から昨日の重体事件を聞いて、気になって掛けてきたのだと思います。昨日までは全く食べられない状態だったけれど、今日はジュースが数口飲めたようです。
ほんのほんの少しの回復だけど、これで良いと思っています。電話を掛ける元気が出てきたことも回復の証し。焦らず、ゆっくり・・・で行こう。

2007年3月21日

母は相変わらずの様子です。まだ食欲は戻らず、回診に来た先生の顔を見て吐いてしまったと言っていました。
以前はカランカランという処置器具が乗ったワゴンの音が聞こえると、吐いたこともあったと言っていました・・・。まるでパブロフの犬状態です。

白血球は今、最低ラインを低迷中で、わずか100です。白血球が少ないことで、体が余計にダルかったり、しんどかったりもします。早く上がってくれば良いのにな・・・。もうしばらくの辛抱かな・・・。

母の悩み

2007年3月22日

お昼過ぎ、母から電話がありました。昨日電話を掛けた時そうだったけれど、ここ数日、掛かってきた電話に出ることができないと言うので、通話テストをしてみました。
その結果、今日はちゃんと出れる様子。どうやら昨日までは、電話の通話ボタンを押す力さえ無かったということで、この問題は解決しました。
最近、あまり喋っていなかったせいか、今日の母は喋る喋る・・。30分以上、話をしました。

母には今、悩みがあります。トイレのことです。今、オシッコは管を入れているので、特に問題は無いけれど、その管を近々外されてしまうかもしれないということでした。入れっぱなしにしておくことは、感染症の原因になり兼ねないということらしいのです。
でも母は自力では全く動けません。看護師さんの介助無くして、トイレで用を足すことができません。先日もコールしたのになかなか来てもらえなくて(トイレで呼んでるんだから、早く来てくれれば・・・と思いますが)、大きい方が間に合わなかったことがありました。そういう状況なので、選択肢としては紙オムツしかなさそうです。でもやっぱりそれはちょっと・・・と母。
トイレのことって、本当に難しい問題だと思います。とりあえず保険のつもりで紙オムツにしておいて、コールをするという方法が良いかな?とは思いますが。良い方法が見つかれば・・・。

悪い話ばかりではなく、良い話も・・・。
食欲が少し出てきたみたいで、おやつが食べてみたくなったと言ってました。先生からの許可も出たので、何か食べたいようです。やはりアンコ系が良いとか。

2007年3月25日

母は、昨日よりは少し調子が良いと言っていました。電話で話をするたびに、前日よりは良いと言っているので、少しずつですが、順調に?回復中なのかな・・・。白血球は相変わらず100前後で、まだまだクリーン解除にはなりそうもありません。

息子の幼稚園が始まるとなかなか帰省できなくなるので、それまでに様子を見に行ってみようと思っていましたが、この状況だと無理かもしれません。子供を置いて行くわけにはいかないし・・・。

腹部エコー

2007年3月30日

午前中、母から電話があって、大部屋に引越し中だと言っていました。今週中にはクリーンから解放されそうだと言っていたけれど、また重症者の人と部屋交換になったようです。クリーンから解放されたので、週明けから帰れる・・と思ったのは良いのですが、大部屋となると、子供たちが静かにしていてくれるかな・・?

午後からは検査(エコー)があり、昨夜から絶食中らしいです。誰か(父か弟)に、検査後に昼食を買ってきて届けて欲しいけれど、何件も電話するのは大変なので(体力的に)、私に連絡を取ってみてもらえないか?ということでした。

何の検査かは母もよく分からないようでした。絶食で腹部エコーならば、胃腸を見るということだろうし、『きっと移植前の全身チェックだね』と話していました。
その時は、母も私もそう信じて疑うことなんてありませんでした。今思えば、肝臓を診るための検査だったのだと思います。

そして本日、化学療法3クール目の追加分の抗がん剤投与が行われていました。父も弟も私も、そして母本人も誰1人そのことを知りませんでした。知ったのは4月7日になってからでした。

移植が中止に・・・

2007年3月31日

今日は主治医の先生から話を聞くと聞いていたので、きっと移植の日が近くなってきて、その話だと思ってました。父と弟が聞きに行きました。
先生の口から出た言葉は、4月に行う予定だった移植は、ドナー側の問題で中止になったということでした。最終段階の検査で不適合となったそうです。予定通り4月に移植なら、今ちょうど3クール目が終わって回復期にあるので、時期的にはベストだと思っていました。それが無期延期となると、それまでに再々発してしまうかもしれない可能性も出てきます。

弟からの報告を受け、言いようのないショックを受けました。しかしバンクを通しての移植は、患者・ドナー両者を守るために、血縁間で行われるよりも厳しい基準が設けられているから仕方ないことなのかもしれません。ドナーあっての移植だから、再びドナーが現れるのを待つことしかできません。

とりあえず母の化学療法は3クールで終了ということらしいです。治療は終わったけれど、血液や全身状態が良くないので、家に帰ることはできないと言われたそうです。と言うことは、ドナーが見つかって移植を受ける日が来るまでの待機期間中、ずっと病院で過ごすということなのでしょうか・・。
母がどれだけショックを受けたか、想像するだけで辛いです。早くドナーが見つかって欲しい・・・。

今日はこれ以上の話はなかったそうです。昨日のエコーのことについても・・・。今日のこの時点で、当然、先生は母の異変に気がついていたはずなのに、家族には説明は一言もありませんでした。昨日、抗がん剤を投与したことさえも・・・(4月7日に私と弟が看護士さんに問い質したことにより発覚します)。
恐れていた再々発・転移が現実のものになるなんて、この時、誰が予想できたでしょう・・・。

ページトップ

闘病記録2007年4月(再発)へ進む

Copyright(C)2006-2014 AKIKO. All rights reserved.