悪性リンパ腫再発2007年2月

2007年2月1日

今日は父が不在なので、夕食を母の病室で一緒に食べることにしました。『弁当屋さんの弁当が食べたい』と言っていたので、買って行きました。
『やっぱり1人で食べるよりいいな・・・』と言っていたので、明日から何とか時間を工面して、昼食は一緒に食べるようにしようと思いました。

ペーパークラフト

2007年2月2日

最近、母の病室ではせっせとペーパークラフトを作っています。母がハサミで切り、私が組み立てを担当しています。
最初は子供たちが喜ぶし・・・と何気なく作り始めたのですが、『作って!』と子供たちが私ではなく、母にせがむので、母も見えにくい目で、あまり動かない手先で、『指のリハビリになるかな?』と製作に加わることになりました。

とても器用だった母とは思えないくらい、切り口はガタガタだし、切ってはいけないところを切り落としていたりします。そこは私がフォローして・・・。子供たちが好きな動物を作っています。だんだん数が増えてきて、病室は動物園状態。看護師さんにも評判で『分けて』と言われることもあります。

Yahoo!きっずペーパークラフト 、お勧めです。【きっず】ですが、大人でも作り応え充分ありです。

2007年2月3日

午後から病院に行った時、運良く下の子(2歳)が寝てくれたので、母の足を洗ってあげました。部屋にシャワー室もあることだし、いくらでも洗ってあげたいところだけど、目を離すと下の子が部屋から脱走するので、なかなか出来ませんでした。
看護師さんに頼んで週に1~2回は洗ってもらっているみたいですが、それでも垢でボロボロでした。せっかくの機会なので入浴も勧めましたが、今日は自信がないとのことで止めました。

2007年2月4日

ここ数日、雪が積もるなど寒い日が続いていましたが、久しぶりに暖かくなったので、車椅子で屋上に散歩に行きました。子供たちは車椅子を押す順番を争いっぱなしでした。下の子はまだ自分がベビーカーで押される側なので、押してみたかったのかもしれません。
暖かいとは言っても、気温は12℃くらい、屋上(11階)は多少風もあったので、15分くらいで帰りましたが、気分転換にはなったかな?と思います。

今日で化学療法2クール目、5日連続投与が終わりました。今回も副作用はほとんど感じていないようでした。

2007年2月6日

3連休の週末に外泊させてもらえることになったようです。もちろん直近の血液検査の結果次第ですが。
せっかくの外泊なのに、明日にはどうしても自宅に戻らないといけないので残念です・・・。

2007年2月6日

今日も晴天で暖かかったので、昼食後、屋上に散歩に行きました。今日は車椅子ではなく、歩行器を使って母自身の足で歩いて行きました。痺れ(初発の時の治療の後遺症)と骨折の痛みもあるので、かなりゆっくりでしたが・・・。
屋上のベンチは木製なので、ガリガリに痩せた母(161cm、39kg)のお尻では、長時間座るのは辛かったようです。10分ほどで部屋に戻りました。次回は座布団持参で行かなければ。

夕方、病院を後にしました。いつものことながら心苦しいのですが、主治医の先生が仰るには、ドナーのコーディネイトも順調に進んでいるようなので、それを安心材料に出発しました。

2007年2月10日

昨日の朝の血液検査で、諸々の数値が低下し始めていました。このまま低下が続くと外泊は危ういかもしれない・・・と思っていましたが、やはり今日からの外泊は延期になりました。

実はこんなことがあったようです。
一昨日、先生が病室に現れず、G-CSFを打たなかったらしいのです。看護師さんの話し振りからすれば、先生が忘れていたみたいなのです。クラドリビンの骨髄抑制の強さや、今までの治療で母の造血機能がボロボロになっていることを考えれば、仮に打ち忘れなかったとしても、同じ結果になっていたかもしれません(むしろその可能性の方が強いと私は思います)。

ですが先生は『自分の打ち忘れのせいで、外泊の約束を果たせなくなった』とかなり焦っていたそうです。『明日には必ず家に帰してやる』と。一体どうなることでしょう・・・。

2007年2月11日

午前中、血小板輸血を行い、午後から外泊となりました。予定より1日短くなってしまいましたが・・・。

次回から外泊が近くなったら、『G-CSFは?』と聞くようにすると、母。
そう言えば、私が帰省していた時も、子供たちに『おばあちゃんはもうすぐお家に帰るからな』と言っていた先生。本当に焦っていたんでしょうね。今後、打ち忘れることは無いことと思います。

2007年2月19日

ここ数日、食欲が無く、ほとんど食べれていないという母。何日か前に抗がん剤を1日投与したと言っていたので(5日連続投与+数日後1日投与というパターン)、1クール目の時もそうだったので、それが原因ではないかと思うのですが、気になります。

白血球が500前後の日が続いています。そのせいで体もダルかったり、かなりしんどいようです。そんな状態なので病院食は全く食べれず(味がほとんど無味に感じられるので)、看護師さんに頼んで売店で買って来てもらったカップラーメンを少し食べているようです。
栄養バランスは良くないかもしれませんが、とにかく食べれるものを食べなくちゃ。

あと数日の辛抱だとは思いますが(1クール目の時の経過から考えると)、早く回復して欲しいものです。

ドナー決定

2007年2月23日

嬉しい知らせがありました。最終同意を得られ、母のドナーが決まりました。
先日、先生は『(ドナーコーディネイトは)順調に進んでいる』と仰られていたのですが、バンクに患者申請したのは1月初め、正式に患者登録されたのは1月半ばだったので、まさかこんなに早く見つかるとは思いませんでした。母の体調やドナーの方の都合など考慮し、移植日程が決まりますが、4月に行われることになりました。

私も自分なりに、バンクを介しての骨髄移植についていろいろ勉強していたので、迅速コースというものが設けられ、登録から移植までの期間を80日を目標に、コーディネイトが進められることは知っていました。
従来からのコースだと最短でも90日くらい、平均的な日数では5~6ヶ月先に移植施行ということでしたので、今回の母の件については驚きました。

ドナー登録されている方の中から(仮にHLAが一致するドナーが30人いたとしても)5人を選び、複数回の検査に臨んでもらいます。検査途中で健康上の理由などでドナー不適合となった場合、欠員を補充することもでき、最高5人まで同時にコーディネイトを進めることができるのです。
そして主治医が検査結果を見て、最も相応しいドナーを選び、そのドナーに最終的に同意してもらえれば(弁護士に同伴してもらい、最終同意書を書いてもらいます)、移植に辿り着けます。
ここまでの複雑な行程が、こんなに短い期間で終えることができたのも、バンクやドナー候補の方々の迅速な対応のおかげです。感謝の言葉も言い尽くません。

そして母は運が良かった・・・(こんな病気になったのに、運が良かったというのも可笑しいかもしれませんが)。
どんなに移植を切望していても、ドナーが得られない為に断念せざるを得ない患者さんがたくさんいらっしゃいます。ドナーが得られないという理由で、生きる希望を閉ざされてしまうなんて悲しすぎます。母の場合も、姉弟とHLAが不一致だと分かった時、母の周りの皆がとても辛い思いをしたと思います。母本人、私たち家族、そしてドナー検査を受けてくれた伯母や叔父も・・・。バンクがあったからこそ、母は生きるチャンスをまた手にすることができたのです。

希望する患者さん全員が移植を受けられるようになる為には、まだまだドナー数が不足しています。私も子育てが一段落したら、早い時点でドナー登録したいと思います。
HLAが一致する人がいるということは、どこかに病気で苦しんでいる人がいるということなので、ドナーに選ばれない方が本当は良いのでしょうけれど、選ばれることがあれば、喜んでドナーになってあげたいと思います。

2007年2月26日

血液の数値が回復し始めたので、先生から外泊の話が出てみたいです。今まで病院の治療の都合上、外泊は週末なのかと思っていましたが、最近になって違うことが分かりました。父はまだ現役だし、弟も週末にしか帰って来れない、私は遠くに住んでいる・・・などの理由から、母の希望で週末に限定していたみたいです。

週末(土・日)だけでは、行って帰ってでバタバタするだけで、のんびりできないし、4月に移植が行われるのであれば、それまでの帰れる時に可能な限り連泊させてあげたいと思いました。
そういうわけで、今回は私が都合をつけるので、平日でもいつでも良いよ・・と母に伝えておきました。

2007年2月27日

今朝の血液検査の結果、外泊許可が出たので、『いつ迎えに来てくれる?』と母から電話がありました。今日からでも良いそうなのですが、今からすぐに行けないので、明日の11時頃には病院に迎えに行く約束をしました。
明日は早起きして、8時前には出雲に向かわなくては・・。全ては子供たちにかかってる・・頼んだよ息子たち!

最後の外泊

2007年2月28日

朝7時半に家を出ました。高速も飛ばして、約束の11時前に病院に着きました。
しかし今朝の血液検査の結果、血小板輸血が必要になったので、輸血を待って帰宅することになりました。お昼前には帰るつもりで昼食も止めてあったので、昼食を買ってきて病室でみんなで食事を摂りました。
しかしなかなか輸血が始まる気配がありません。看護師さんに聞いてみると、必要な数だけの血小板が確保できないんだそうです(母の場合、1度に10人分くらい使うこともあるそうです)。

私がよく行く献血ルームの前には、いつもこんな看板が出ています。
今日の必要としている献血数に対して、今、それだけ確保できているかというものです。血小板はいつも『大変不足しています』と出ています(広島は特に不足するそうです)。そして『平日の献血に協力してください』と。
血小板は献血できる施設が限られ、しかも有効期限が72時間しかない・・・。つまり月曜日以降に献血されたものが必要なのです(今日は水曜日)。しかも母の血液型はAB型で数が少ないのでしょう・・・。

結局4時になって、やっと輸血が開始されました。6時過ぎになってやっと母を連れて帰ることができました。3泊4日の外泊予定だったのに、1日つぶれてしまいました。

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