悪性リンパ腫再発2007年1月

元旦

2007年1月1日

昨日の最終の飛行機で兄が帰省したので、今年のお正月は兄弟3人が揃いました。5~6年ぶりでしょうか。

昨日より副作用がひどくなっていなければ良いけど・・・と思いながら病院に行ったのですが、体調はまずまずのように見え、安心しました。爪が伸び放題伸びていたので、爪切りをすることになりました。手先に力が入らないので、自分で爪を切ることもままならないのです。
兄も弟も他人の爪切りなんてしたことがなく【怖い】らしいので、必然的に私がすることになりました。子供たちの爪切りなんて日課のうちだけど、母の爪を切ってあげるのは初めてのことでした。抗がん剤の副作用で爪はもろくボロボロになっていました。

病院食も今日は多少お正月らしい料理になっていました。3割くらいでも食べれたでしょうか。食欲もまずまずでした。

2007年1月2日

今日も体調はまずまずと言ったところ。心配される副作用もひどくなることなく、顔色良好。夕方~夜にかけて熱は出るようですが、抗生剤を入れると翌朝には熱がスッキリ引くようです。
しかし白血球は900まで低下しているので、感染症には注意が必要です・・・と言うか 私たちが菌を持ち込まないように注意しなければいけません。白血球数が回復すれば外泊もできるようです。

2007年1月3日

出雲大社に初詣に行きました。願い事は、やはり母の回復です。お守りを買って、その足で母のところへ行きました。
途中、母が食べたいと言っていたタコ焼き店でタコ焼きを買いました。かなり大粒なのですが、母は3個ペロリと食べました。美味しいと評判の店だし駅の構内にあるので、かなり混んでいましたが、待った甲斐がありました。

骨髄バンク登録

2007年1月4日

去年の12月16日に時間外受診で病院に来た時に捻挫したと思われる左足がなかなか良くならないので、整形外科の先生に診てもらいました。レントゲンを撮ってみたら、何と左足首の剥離骨折でした。どうりでなかなか痛みも腫れも引かないはずです。
そんなに重症ではないので、手術もしなくて良いし、ギプスを巻くと今よりさらに身動きが取れなくなるだろうということでテーピングの固定だけで経過を見ることになりました。

いよいよ骨髄バンクに登録することになりました。登録するにあたり先生から説明を受けました。以前から骨髄バンクには興味があったので、Webなどでいろいろ勉強もしていたし、費用のことなどは何となく知っていました。
日本の骨髄バンクは海外の骨髄バンクに比べ、国などからの助成が不充分な為、多額の自己負担金が必要です。候補になったドナーに受けていただく検査や入院費用、骨髄をもらいに行く時などの先生の旅費、その他にも項目がいろいろあり、最低30万円くらいはかかるようです(保険は利きません)。なかなかドナーが見つからなかった場合など、もっと高額になることもあります。

現在、ドナー登録者は約25万人です。30万人に達すれば、移植を希望する患者さんのほとんどにドナーが見つかると言われています。私も以前からドナー登録しようと思っていたのですが、妊娠や授乳期の繰り返しで出来ませんでした。そこへきて母の病気・・・。今回もことからも、絶対登録しようと心新たに決意しました。でも母の状態が落ち着いてからかな・・。

同種骨髄移植を受けるメリットとデメリットについて話がありました。メリットとしては、やはり完治の可能性が望めるということです。移植が成功すれば、2年無病生存率は70%だと言われました。
デメリットとしては、同種骨髄移植を受ける患者としての年齢は高い方なので、より危険が伴うことです。移植後半年以内にGVHDで死亡してしまう確率も15%くらいはあると言われました。

母は移植を受けなければ生きられないので、生きるために受けるしかありません。85%の移植成功率と、70%の2年無病生存率を信じて。
移植で死亡してしまう覚悟も必要と知った母は『身の回りの整理をしておかなくちゃね・・・』と涙を流していました。どんなに悔しくて、辛くて、怖いことでしょう・・・。私は掛ける言葉が見つかりませんでした。でも生きるために頑張って欲しい。頑張って生きて欲しい。

腫瘤が消えた!?

2007年1月5日

週明けから始まる放射線療法前の最終診断として、CT撮影がありました。それを元に治療計画が立てられます。
まずいつものCT撮影室で顔面を撮り、放射線部門にある治療計画室へ行きました。またそこでさらに詳しく調べるためなのか、CTの撮影をしました。ガラス張りの部屋なので外から医師たちの様子が見えます。
腫瘤は小さくなっているんだろうか。また大きくなったりしていないだろうか。待ち時間はとても長く感じられました。

しばらくして呼ばれ、腫瘤が消えて無くなっている事を告げられました。一瞬聞き間違えたのかと思ったのですが、『無いものに放射線を当てても仕方ないから(放射線は)中止にしましょう』と。すごく嬉しかったです。思わずガッツポーズ。

初発の時、あんなに苦労したのに、今回は1クールで消えてしまうなんて。今回の化学療法は主治医の先生が考えて下さったものでしたが(CHOPとかESHAPとかではなく、完全オリジナルです)、見事に大当たりでした。
これで難関は1つクリアできました。化学療法はもうしばらく続きますが、こんな嬉しいことが次々起こって欲しいものです。

2007年1月6日

夫の年末年始の連休が間もなく終わる為、今日は広島に帰ることになりました。こんな時に側にいてあげられないなんて、本当に後ろ髪引かれる思いです。

まだ白血球数が回復してこない為に、外泊はもう少し先になりそうです。血小板輸血なども頻繁に行われているようですが、数値が回復してきません。

2007年1月8日

ここ数日、ずっと同種移植について調べています。やはり厳しい治療法のようで、移植関連死亡率は40%近くあるということです。この40%というのは病気の種類、年齢など問わず同種移植全体を見た時のことでしょうが、かなりの高確率です・・・。病気そのものではなく、移植による死亡率であるということで、愕然としてしまいます。
実際に同種移植を体験された方の闘病記を読んでいると、ほとんどの方が無菌室に入る時に『ここから生還できるのか・・!?』と考えられたようです。

私は無知ほど怖いものはないと思っているので、こうやっていろいろ調べるのですが、少し(いや・・・かなりですね)怖くなってしまいました。しかも母のT細胞性の場合は同種移植が現在試験的に適応されるというようなことが書いてありました(B細胞性の型によっては同種移植が確立された治療法になることもあるようですが)。
元々、T細胞性の病気そのものについて、きちんと解明されていないようなので、仕方ないと言えば仕方ないかもしれません。

爪もみ太郎

2007年1月11日

健康マニアなら、爪もみ太郎のこと知っている人も多いのではないかと思います。私はその存在を本を通じて知りましたが、あるある大辞典でも紹介されたことがあるようです。

知らない人の為に、どういうものなのか簡単に説明すると・・、爪もみをすることでリンパ球が活性化し、免疫力が上がります。爪もみ太郎というのは、その爪もみをより簡単に出来るように開発された道具なのです。東京女子医大病院の斑目先生が開発者らしく、ガン患者さんの実際の治療の場にも爪もみを取り入れられているそうです。

私がこのことを知ったのは半年以上前。前々から気になっていたのですが、ついに爪もみ太郎を注文し、今日、母の元に届いたようです。東洋医学的な世界ですが、やってみる価値は充分あると思います。
※東京女子医大病院は、西洋医学の中に東洋医学も取り入れている数少ない病院のようです。

外泊

2007年1月13日

この週末は、待ちに待った外泊です。ここ数日、体調が優れず食欲も減った・・・と母が言っていたのですが、それも回復。この体調不良、実は数日前に1日だけ抗がん剤を投与していた日があったからでした。
近々1日だけ投与するということは聞かされていたようですが、母はそれがいつなのか知らされていなかったらしく、 気がつかないうちに終わっていて、事後報告だったようです。

食欲がないなんて言われると、体調不良=病気が悪化?などと考えてしまいます。余計な心配をたくさんしてしまいました。先生も一言言ってくれれば、良かったのに・・・。

2007年1月14日

夕方には病院に戻りました。週末は弟も帰っていた為、食事はいろいろ作ってもらえたようです。食欲はかなりあったらしく、間食もしっかり摂った上に、食事もしっかり食べていたようです。

長い闘病生活を送る上で、気分転換はとても大切なことです。家に帰っても寝たきりだけど、病院じゃないというだけで気分も違うことでしょう。のんびり湯船に浸かって入浴できたり、自宅を満喫できたのでは?

2007年1月16日

14日、外泊から戻ってから、38℃台の熱がずっと続いていましたが、やっと下がりました。ほぼ毎日、夕方になると熱が出ています。いつもなら解熱剤を点滴に入れてもらうことで次の朝にはスッキリ下がっているのですが、13日に家に帰る時に点滴を外してから、そのままでやってみようということになっていたので、その方法は使えません。
飲み薬や氷枕で対処していたようですが、なかなか下がらなかったようです。この間はさすがに食欲も落ちていたようですが、これでまた戻ってくると思います。

2007年1月18日

血液疾患は他の疾患に比べて闘病が長くなりがちですが、母の場合も例外ではありません。ここ最近、少し気になることがありました。

同種移植を受ける予定の母に少しでも参考になれば・・・と思って、母と同年代(50代半ば)で同種移植を受けられた方の闘病記を送ったのですが、 母の反応はこうでした。
『助からないかもしれない(移植関連死)ってこともあるよね・・・』
確かにそういう可能性もかなりの確率で起こり得ます。でもそうではなくて、そういうリスクもあるけれど、移植を受けて今現在、元気に過ごしている人がいるっていうことを知って欲しかったのです。

そしてこんなこともありました。週末が近付いてきて主治医の先生から外泊の話があったのですが、どうもあまり気が進まないみたいなのです。話を聞くと、こうでした。
『もう家に帰れなくなるかもしれないから、先生はしきりに外泊を勧めている』
母らしからぬ発言に、私は愕然としました。それまでの闘病意欲はどこへ行ってしまったのか・・・。同種移植に対する恐怖と不安が大きいのかと思いました。

再発してからの入院はずっと個室に入っています。初発の時は、白血球数が極端に下がった時に数回ほど個室に入ったことがあるくらいで、基本的に4人部屋でした。同じ病気の方が同室になることもありました。そういった方と話をすることで励まされたりすることもあったと思います。また何気ない会話で気分転換も出来たことでしょう。
しかし今は個室で完全に閉鎖された環境です。自分で自由に動くことができません。1人でいる時間が圧倒的に多いし、目がよく見えないために読書もできないし、それに加えて手先も痺れて何も出来ない・・・。

孤独な環境が母を弱気にさせているのでしょうか。こんな時、もっと近くにいれば、毎日でも行ってあげられるのに・・・。

外泊

2007年1月20日

今日から1泊の外泊です。いろいろありましたが、家に戻ることになり、ホッとしました。
病院では絶対に出来ないことがあります。それはのんびり湯船に浸かってのバスタイム。きっと気分転換になることでしょう。

私は今日、献血ルームに出掛けました。約1ヶ月前に初めての成分献血を行い、今日は2回目です。前回は検査の数値などから血漿を採取したのですが(血小板は難しいかもしれないと言われました)、今回は血小板に挑戦しました。
血液を抜いて、機械で分離して血小板だけを採取、残りの血液を体内に戻すというサイクルを4サイクル、時間にして約1時間でした。

血液を戻す時に凝固を防ぐために、クエン酸を混ぜたものが返ってきます。その工程で見事にクエン酸反応が起こってしまいました。
クエン酸にはカルシウムを攻撃(破壊?)する作用があるために、口の周辺などに痺れが起こるそうです。カルシウムを補給することで緩和されるので、看護師さんがチョコレートやココアを持ってきてくれて、ひたすら口にしていました。

母が自家移植の為に、抹消血幹細胞を採取した時に言っていたことを思い出しました。体中が痺れて、冷たくて、しんどかった・・と。
抹消血幹細胞採取の場合は3~4時間くらいかかるので、私が経験した以上に大変だったと思います。まして病気の身で。母の場合は余程ひどかったのか、カルシウム剤を注射したくらいです。

急いでいたので、採取が終わると電車に飛び乗って帰りました。しかし採取終了後の休息が足りなかった為か、悪心に吐き気、フラフラで電車の中でグッタリしていました。 2~3時間経って、ようやく回復しました。
2週間後にはまた献血できるので、これに懲りず、私は献血(成分献血)に行きます。私に出来ることと言えば、このくらいしかないのですから・・・。

2007年1月22日

少々元気の無い母に、何か良いものはないかとずっと考えていました。何気なくネットサーフィンしていると、病気の人には音楽・花・絵が良いという記述を見つけました。音楽はラジオやCDで既に聞いているし、花(生花)は白血球数が下がった時に衛生面であまり良くない・・・、そうか!絵という方法が残っていた!
初めて聞いたわけではないのですが、ハッとしました。

【善は急げ】で早速、大型書店に出掛けました。絵画をプレゼントする経済力は無いけれど、絵画集なら買えると思いました。悩んで悩んで、ヨーロッパの教会のステンドグラスの写真集を買いました。違ったジャンルも欲しいと思い、クリスチャン・R・ラッセンの絵画集も注文しました。美しいものを見て癒されて欲しいと思います。

2007年1月28日

今日から帰省です。お土産の本やお菓子を持って、母のところへ行きました。体力をつける為に、積極的に間食を摂り、カロリー摂取に励んでいますが、それに加えて、歩行器で歩く練習をしたり、ベッドの上で筋力トレーニングを始めたようです。
『少し筋肉がついた』と、ガリガリの足を自慢そうに見せてくれました。すっかりいつもの前向きな母に戻っていました。

予定では明日から2クール目が始まります。若干、血小板と白血球が少ないようなので、それが気になります。明日の朝の血液検査の結果で決まるようです。

2007年1月29日

今朝の検査結果、白血球数が1900だったので、2クール目は延期になりました。

『菓子パンが食べたいので、買って来て欲しい』と母が言うので、自分で好きなものを選んだ方が良いのでは?と思い、車椅子で売店に連れて行ってあげました。
検査や他科の受診の為に出掛けることはあっても、私用で出掛けるのは再発の入院以来、初めてのことだったようです。え?と思いましたが、よく考えるとそうかもしれない・・・。

今日の外出も、最初は幼い子供たちに気を使って遠慮していたのですが、半ば強引に連れ出しました。やはり気分転換の為にも部屋から出てみることは大事かな?と思います。機会があれば、どんどん連れ出そうと思いました。

2007年1月30日

今日の母の昼食は、食堂でラーメンをテイクアウトしました。前々から『インスタントではないラーメンが食べたい』とずっと言っていました。病院食の主食を麺類に変えてもらったこともあるのですが、母の想像するラーメンとは到底かけ離れたものだったようです。
そこで食堂で聞いてみたところ、病室への持ち出しOKだったので、めでたくラーメンを食することができました。

代わりに私が母の病院食を食べたのですが、実に出産の時以来、2年ぶり(同じ病院で出産しました)。相変わらず味がない・・・。栄養バランスや塩分など気を使うのは仕方ないとは思いますが、もうちょっとどうにかならないのかな・・・。
塩分などが病状に直接関係する患者さんなどもいますが、そうでない患者さんの場合、もっと違うメニューでも良いのでは?とも思います。1食当たり700円を負担しているのですから、栄養バランスや塩分など考慮した上でも、最大限に美味しさを引き出せるような、食欲が沸くような、もっと創意工夫して欲しいものです(栄養士の方すみません)。

化学療法2クール目

2007年1月31日

今朝の血液検査で白血球数が9000まで上がったので、化学療法2クール目を開始しました。

1クール目で大変良い効果が得られたので、再度、クラドリビン(商品名:ロイスタチン)が5日連続で投与されます。今回も副作用(吐き気)があまり出ないと良いのですが・・・。
この薬は骨髄抑制がかなり強く出るので、ただでさえ回復力が衰えている造血機能が、さらに叩かれてしまうのが心配の種です。

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