悪性リンパ腫再発2006年12月

再発

2006年12月25日

今日は2週間おきの外来受診日でした。先日の血尿のことや、母が訴えていた左目の異変のことがあったので気になっていました。
いつもなら母から『病院行ってきたよ』と報告があるのですが、夕方になって電話を掛けてきたのは父でした。父からの電話を取った瞬間、何かあったに違いないとすぐに分かりました。母は今日から再入院になりました。

教員をしている弟は早々と冬期休暇に入り実家に帰っていたので、今日は弟が母の検診に同行しました。父が運転する車で病院の玄関に横付け、弟が車椅子を準備して出迎え・・・という感じで、母は歩けなくなってしまっていました。
2週間前に私が帰省した時には、スピードはゆっくり、距離は少しではあったけど、自分の足で歩き、買い物にも一緒に出掛けたのに・・・。足の痺れが最初、足先だけだったのに膝下まで、そしてついに今日は太腿辺りまで広がってきたらしいのです。

まず眼科を受診しました。右目の角膜異常は良くも悪くも変化は無かったようです。そして母が異常を訴えていた左目ですが、角膜などには異常は無いとのことでした。多分、眼科で治療する領域の異常ではないということだったのでしょう。『再入院になるかもしれないね』と気になることを言われたそうです。

その後、生理検査室で検査を受けてから、血液腫瘍科へ。主治医は車椅子で現れた母を見て、とても驚いたようです。退院して自宅に戻り、少しずつでも体力や体重が回復していると思っていたのでしょう・・・。ところが全く逆だったので。母は発病から移植後退院するまでに15kg痩せましたが、今日発覚したのですが、退院後さらに3kg痩せていたのです。
即、入院を言い渡されたようです。再入院の本当の理由は現時点ではよく把握できていません。体の衰弱があまりにひどかったので生命維持が危険ということもあったかもしれないし、再発の疑いがあったからなのかもしれないし。私は両方かな・・・と思っています。
先日撮った顔面のCTですが、特に話は無かったようです。ハッキリ分かる異常(影)が写っていれば、その時ハッキリ『再発』と言うような気もするのですが、その時、言わなかっただけかもしれないし・・・真相はよく分かりません。

緊急入院になったので、その後に予定していた泌尿器科の受診はキャンセルになりました。入院中に診てもらえることになったようですが、こちらの方はあまり深刻な状況ではなさそうでした。

2006年12月26日

昨日は突然の入院、再発の疑いがあるということでかなりショックを受けました。今日もまだヤル気が起こらず、何も手付かずでした。
移植後たった2ヶ月で再発するなんて、移植した母の抹消血幹細胞にガン細胞が混じっていたんじゃないだろうか・・・。たった2ヶ月で再発するくらいなら、あんなに辛くて苦しい移植を受けたのは、ただ体がボロボロになっただけで無駄だったんじゃないだろうか・・・。もし同種移植を受けていたら、こんなことにはならなかったんじゃないか・・・。そんなことばかり考えていました。

昼過ぎになり、やっと母に連絡を取ってみました。それまで母になんて声を掛けて良いのか言葉が見つからなかったし、現実にぶつかることが怖かったのです。
電話の母の声はとてもしっかりしていました。初発の告知を受けた時と同じで、オロオロすることしかできなかった私は母から勇気をもらったような気がしました。いろいろな検査を受けているのかと思いきや、血液検査以外は特別なことはしていませんでした。もう再発が確定しているからなのでしょうか・・・。

母が主治医に『また(抗がん剤が)始まるんですか?』と聞くと、『まぁそう慌てるな。今考えてるから。』と返事が返ってきたそうです。主治医の言う【考えてる】というのは、きっと今後の治療方針のことでしょう。やっぱり再発確定なのかな・・・。

2006年12月27日

やはり再発確定のようです。昨日から点滴を開始していたのですが、抗がん剤だったようです。5日連続投与の予定なので、今日で既に2日目ということになります。こうなったら辛いですが、現実を受け止めるしかありません。

30日に主治医から病状や今後のことなど、説明を受けることになりました。正直なところ、聞くのが怖いです。どんな恐ろしいことを言われるのかと思うと、怖くて怖くてたまりません。
でも母は今、もっと恐怖に怯えているのだろうと思います。『絶対に治してみせる』その思いは初発の時と変わらないけれど、心細い思いをしているに違いありません。不安、恐怖、悔しさ・・・いろんな感情がグジャグジャになっていることと思います。
母は今日も電話口で泣いていました。私は子供たちのことや最近の出来事など、他愛もない世間話で気を紛らわしてあげることしかできません。

2006年12月28日

今日は一気に冷え込みました。昨日までの暖かさとは一転、真冬になりました。明日から実家に帰省するので、県境の峠の積雪が気になるところです。

抗がん剤も今日で3日目。目の腫れはだいぶん引いたようです。25日の入院時は額から頬にかけて盛り上がっていたらしく、腫瘍に圧迫されて左目に痛みもありましたが、腫瘍の縮小で痛みは無くなったようです。多少見えにくさは残っているようですが・・・。

しかしこのまま簡単にガン細胞が大人しくなってくれるのだろうか・・・と言えば、疑問です。初発の時も抵抗性で、抗がん剤投与後の数日は大人しくなっていたのですが、1週間もすれば優勢になっていました。自家移植の前処置の大量抗がん剤の威力をもっても、制することができなかったわけですから (母から採取した幹細胞にガン細胞が混入していたのならば話は別ですが)、かなり手強い相手なのだと思います。でもきっと勝ってみせる。

2006年12月29日

今日から帰省です。真っ先に母のいる病院へ向かいました。1番腫れがひどい時(25日の入院時)の状態は分からないのですが、今月半ばに帰省していた時より顔がスッキリしていました。腫瘤が収縮したので、左目は開くようになり、痛みは多少解消されました。
しかし何を見ても、2重3重にしか見えないらしいのです。右目もまだ霞んだままなので、まともに見えていないということになります・・・。

今回は最初から個室に入っています。と言うのも、まともに歩くことができないため、トイレが近くにないと困るからです。個室にはバストイレが完備されていますが、ベッドのすぐ横にポータブルが設置してありました。しかしそのベッド横へさえ、移動するのはかなり困難なようです。
歩けない・・・という話は聞いていましたが、実際にその姿を見たらショックなものでした。

吐き気止めのおかげで自宅にいた時よりも多少食べれるようになったらしく、栄養補給の点滴の効果もあってのことなのか、入院時より体重が1kg増えたようです。さすがに母もこれではいけないと思ったのか、カロリーメイトなどを間食に摂っていました。
治療は体力勝負。頑張って体力をつけて欲しいものです。

宣告

2006年12月30日

今回の化学療法は5日連続投与の予定だったので、今日で1クール目が終了しました。

今日は主治医の先生から話を聞きました。再発の原因は、初発の時のガン細胞が生き残ってしまったのだろうということでした。自家移植を受ける際に、大量の抗がん剤を投与したにも関わらず生き残ってしまったなんて、相当強力な相手なんだと打ちのめされた気分でした。
初発の時は『充分治る可能性はあります』と言って下さったのに、今回は主治医の先生も厳しい顔をされて『心してかからないといけないと思います』と仰いました。短期間の再発だったから、素人の私でもそれなりに分かってはいましたが、先生にこう言われるとやはりキツイものがありました。

今後の治療方針はまだ確定ではないのですが、年明けから放射線療法を併行して行うようです。放射線は副作用がひどかったので、出来れば避けたい・・・という思いもありますが、初発の時のことがあるので(抵抗性で寛解に持ち込むのに苦労しました)仕方ないのでしょう。命には代えられません。

上手く寛解に持ち込めたら、その先には同種骨髄移植をした方が良いとのことでした。これも予想通りでしたが、自家移植後の同種骨髄移植は移植死率が高くなると聞いたことがあるのでショックでした。
しかし先生が仰るには、『母のガン細胞は強力なので、抗がん剤だけでは絶滅は難しいかもしれない。健康な人からもらった細胞がガン細胞を攻撃する効果(免疫反応)を期待した方が良い。』ということでした。

『悪性リンパ腫は治る病気です』・・・本でもWebでもこういう記述が多く見られます。だから世の中、【悪性リンパ腫】と聞くと『でも治るんでしょ?大したことないんじゃない?』と思う人も多いのでしょうね。私は『どこが治る病気なの?』そんな気持ちでいっぱいです。時々弱気になる時もあります。不安じゃないと言えば、そんなことは無いですから。
でも奇跡の大逆転を信じています。諦めたら負けてしまう。弱気になることがあっても、諦めることはありません。

2006年12月31日

抗がん剤の副作用が現れ始めたのでしょうか。今日は少し体がダルイと言っていました。昨日までよりも食欲も落ちて、味覚も少し変化し始めたようです。初発の時は酸味を受け付けなくなりましたが、今回もまたそうなるのでしょうか・・・。せっかく生え始めた髪の毛もまた抜けてしまうのでしょうね(今はダチョウの頭のようです)。

今朝、歯磨きをしようとして歯ブラシを落としてしまったらしく、急いで新しいものを持ってきて欲しいと電話がありました。行ってみると床には落ちた歯ブラシがそのままになっていました。拾って使うなんて問題外ですが、でも拾うことさえできないなんて・・・。

初発の時、自家移植の時期を12月頃に・・・という話がありましたが、母はその時『病院で年越しなんて嫌』と言っていました。結果的に年越しすることになってしまいました。人生で2回目の病院での年越しです(1回目は乳癌で入院していた時です)。

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