悪性リンパ腫退院後2006年11~12月

2006年11月2日

明日、退院することに突然決まりました。この数日間のうちに退院できるかもしれないという話はチラホラ出ていたのですが、母の食事量が少なすぎる為に延期の話も出ていたのです。実際のところ、食事は口からはほとんど摂れていません。点滴で生きていたようなものです。

それでも母は『病院にいるから食べれない、家に帰れば食べれるようになると思う』と言っていました。確かに病院食は食事をすることに特に問題が無い人でも決して食べやすいものではないし、場所が変われば気分も変わって食べれることもあるかもしれません。

自家移植を終えて退院

2006年11月3日

長かった入院治療を終えて、ついに退院の日を迎えました。通産6ヶ月の闘病生活でした。終わってみれば、長かったような短かったような・・・母にとっては長かったでしょうけれど。
化学療法や移植などの治療は全て終わりましたが、実際の闘病はまだ続いていると私は思っています。無再発で5年を迎えるまでは常に再発の恐怖と闘っていかなければならないからです。

自家移植を受ける前では再発率は70%だと言われました。自家移植後は30%だと言われました。単純に再発率は半分以下に減ったわけですが、他のガンに比べれば30%はかなりの高確率です。5年というとかなり長いですが、実際には3年くらい再発がないと、その後は比較的安全な期間に入ると聞いたことがあります。なので、とりあえず3年を目標に頑張っていこうと思っています。

お母さん、とりあえずはお疲れ様。先生や看護師の方も言っていたように、きつい治療だったのに本当によく耐えたと思います。これから5年、あせらず、気長に、やっていこう。

退院その後

2006年11月6日

再発の問題以外にも、現在、目の前には問題が山積みです。まだ口から充分な栄養を摂ることができないので、栄養失調の状態です。まるで離乳食のような柔らかくて喉を通りやすいものが、ほんの少量食べれるくらいです。母はこの半年の闘病期間で約15kg体重が落ちました。

食べれないので体力もなかなか戻ってきません。 1日のほとんどを(トイレや食事以外)寝て過ごしています。痩せて骨が剥き出しの状態になってしまったので、骨が当たって痛くて座ることもできないようです。体力不足で30分も体を起こすこともできないのですが、こんな状態なので座る時は円座が役に立っています。

今1番母を悩ませているのが痺れです。抗がん剤の副作用に栄養失調が加わり、体の痺れがとてもひどいのです。特に足先(足首から先)の痺れがひどく、正座をして痺れを切らした時のような痺れ方らしいのですが、時々激しく痛むようです。
痛みの為に歩くこともままならないし、数分~1時間くらいの間隔で強い痛みが襲ってくるので、夜中も眠れないのです。

2006年11月9日

今日は母に変わって家の大掃除をしました。母が退院する前日に父が【大掃除】をしたらしいのですが、やはり男の人の目線では全然できていませんでした。【掃除=掃除機をかける】だけではなく、移植を終えて抵抗力が弱っている母の為に1番気を使って欲しいのは キッチン、お風呂、トイレなどの水回りの衛生です。
それまで家事なんて全くしなかった父にそれを求めても無理なので、私がしました。

子供たちがグズグズ言って掃除が捗らなかったので、少しの間だけ子供たちを庭で遊ばせ、母に監視してもらっていました。しかし母は15分でダウンしてしまいました。縁側で腰をかけていただけなのですが、予想外に体力を消耗してしまったようです。その後ずっと調子が悪く、昼食も夕食も摂ることができませんでした。
後から気がついたのですが、病院でもらった移植についての冊子に『直射日光に当たるのは良くない』と書いてありました。移植から1年間は強い日差しは避けるように書いてありました。体力を奪うことと、抗がん剤で弱った皮膚に紫外線は良くないということらしいです。

2006年11月10日

今日は年賀状を代行印刷しました。文面も宛名面も全て印刷し、早々と来年の年賀状は完成しました。もう少し時間が経てば、目の状態も回復してきて見えるようになるかもしれませんが、 痺れの方がひどくなって文字が全く書けなくなってしまっては困るので、早めに取り掛かりたかったようです。

昨夜は痺れが全く起こらず、一晩グッスリ眠れたようです。しかし日中は元通りでした。それどころか足先の痺れが膝下辺りにまで広がってきたと言っていました。広がってきたのか、一時的なものなのか、場所が変わっただけなのか分かりませんが、あまり良いことではないように思いました。この痺れから解放される日はいつ来るのやら。

2006年11月13日

退院後、初めての外来診察日でした。血液検査と診察があったようです。特に異常は無かったようです。

退院後1ヶ月経過

2006年12月11日

約1ヶ月ぶりに実家に帰りました。1ヶ月前、ほぼ寝たきりだった母は、少し身動きが取れるようになり、簡単な家事ができるようになっていました。かなりゆっくりペースですが、徐々に回復しているようです。髪の毛は・・・まだ全然生えてくる気配がありません。

味覚障害は少しずつではあるけれど緩和されてきているようです。本格的な料理はまだ無理ですが(味覚も体力的にも)、味噌汁くらいなら作れるようになりました。3日に1回くらいですが、洗濯も自分でしているようです。

ただ手足の痺れは相変わらずひどいようで、 病院で処方してもらっているビタミン剤はきちんと飲んでいるけれど、なかなか緩和しないようです。痺れの原因が抗がん剤の蓄積によるものだったとしたら、治らない可能性はゼロではありません。手先がとても器用で頭の回転も良く、何でも出来る母だったので、 その母から体の自由を奪ってしまうと、今後母がどうなってしまうのか心配です。
料理、裁縫、園芸、点字、熱帯魚の世話・・やりたいことはたくさんあるのに、体が思うように動かず、もどかしい思いをしているようです。

2006年12月12日

最近、左目の調子があまり良くないようです。右目は放射線の副作用で角膜が傷つき、相変わらず霞んだままですが。左目も見え方が少し悪くなってきたようで、合わせて違和感もあるようです。母が言うには、悪性リンパ腫が発病する前に右目に感じた違和感とよく似ているそうです。
確かに顔は一時スッキリしていたのに、今は全体的に浮腫んでいます。リンパ液の流れや血流が悪かったりして、浮腫んでいるのではないかと私は思いたいのですが・・。

母は再発ではないかと心配しています。私は再発なんて考えたくないけれど、母にそう言われれば多少不安にもなります。でも一緒に不安になっていても仕方ないので、母にはそう言っておきました。
2週間おきに外来受診をしていて、先週(8日)造影剤を入れて顔の撮影をし、来週(25日)になれば白黒ハッキリ結果が出るので、このモヤモヤも解決すると思います。

2006年12月14日

1ヶ月前はとても外に出て歩ける状態ではなかったのですが、今回は母が買い物に行きたいというので一緒に行きました。食料は普段は父が仕事帰りに惣菜などを買ってくるのですが、衣類はやはり自分で見て買いたいということで。
ショッピングカートを支えに押しながら、かなりゆっくりですが自分の足で歩きました。家に帰ると、足がかなり冷たくなっていて、いつも以上に痺れ(痛み)を感じたようです。やはりまだまだ無理は禁物だな・・・と思いました。

血尿

2006年12月16日

今日、自宅に戻ったのですが、その後、実家では大変なことになっていました。
母は以前より軽い尿漏れがあったのですが、ここ数日、ますます頻尿、しかも間に合わないことが多くなり、『膀胱炎になったかな?早く泌尿器科を受診したい』と言っていました。母本人も私ももう少ししてから・・とあまり緊急性を感じていませんでした。サインを見逃していました。

午後くらいから排尿痛がひどくなってきて、オシッコに血が混じるようになったようです。そしてだんだん痛みも血尿もひどくなったので、病院に電話すると、すぐに受診するように言われ、時間外だったので救命救急センターを受診しました。
着くとすぐに玄関でバタっと倒れてしまったようです。足の痺れで平衡感覚がないのに、何の支えもなしで1人で歩いていたので、足を捻って転倒してしまったのです。幸い病院内だったので看護師がすぐに助けてくれたのですが・・・。

先日冗談半分で『杖を買ってあげようか』と言ったのが現実になりそうです。足も捻挫で済んだし(母は足の痺れなのか、捻挫の痛みなのか区別がつかないと言っていましたが・・・)打ったところも骨などには異常はありませんでした。
今の母は骨がスカスカの状態だと思われるので、きっと簡単に骨折してしまうでしょう。母は嫌がるかもしれないけれど、杖の購入を真剣に考えているところです。

泌尿器科の先生に診ていただいて、薬をもらって帰りました。薬が効いているようで症状は少し落ち着いているみたいですが、血尿の原因究明のために、25日に造影剤を入れて検査することになりました。膀胱炎ならまだ良いのですが・・・。(と言っても、母はそれなりに辛いでしょうけど)

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