悪性リンパ腫自家移植2006年10月

最後の晩餐?

2006年10月9日

明日から自家移植に向けて再入院です。移植後、数ヶ月は生ものは食べられなくなるので、最後の晩餐ということで、夕食は握り寿司を食べたようです。数日前には母の郷(高知)から鰹のたたきが送られてきたので、食べたと言っていました。心残りは・・・きっとたくさんあるでしょうけど。
これが最後にして最大の治療、移植が終われば完治の可能性も開けてくる・・・頑張れ!

再入院

2006年10月10日

いよいよ入院です。早速、移植のためのルートを取りました。今まで抗がん剤などは全て腕から入れていましたが、今回は首の下~胸の間のところから入れます。抗がん剤の量が半端じゃなく多いので、腕の血管からでは耐え切れないようです。
麻酔をして切開し、肋骨のずっと奥の方へチューブを入れ、ズレないように縫って固定し、レントゲンできちんと血管に入っているかを確認しました。

母曰く、切る時は痛くなかったけど、麻酔が切れてきたのか?縫う時はかなり痛みを感じたようです。そして明後日からの移植前処置の準備段階として、点滴が開始されました。

2006年10月11日

明日からの自家移植について、詳しい説明がありました。主治医から移植の工程や、薬剤師から抗がん剤についての話がありました。今までの化学療法でも標準的な抗がん剤の使用量よりは多かったのですが(救援療法)、さらに大量の抗がん剤を使用するので、 想像を絶するような副作用が現れるだろうということでした。
まず食事は全く受け付けなくなるとのことでした。栄養面は点滴でサポートするので、『無理をして食べないこと!』これが今までと違う点です。今までは食べられるものを少しでも良いから・・・という感じでしたが、嘔吐は体力を無駄に消耗するし、弱った気管の粘膜などを傷つけることからも(感染症)、避けた方が良いのでしょう。

無菌室は血液腫瘍科の病棟とは違う、救命救急部門のフロアにあります。病床数約700の規模の病院で、完全無菌室は2部屋です。その部屋が使われることはあまりないようで、母が久々の利用者、今後もしばらく利用者はいないそうです。そんな部屋を使わせてもらえるなんて・・・すごい確率ですよね。
完全無菌室はガラス張りの部屋越しに面会ができるようになっています。会話は電話を使ってになりますが。医師や看護師なども雑菌を持ち込まないように、極力、中には入らないようするそうです。なので検温や血圧測定なども、母が自分でしなければならないようです。

余談ですが、普通の病棟ではテレビや冷蔵庫はカードを購入して有料で使うのですが、ここは使い放題らしいです。無菌室の使用料が1日当たり3万円なので、それくらいは使わせてもらっても・・・。
無菌室での生活についてのイメージを沸かせるために、ビデオも見たようです。箸は全て割り箸で、1回ずつの使い捨て。コップも紙コップで使い捨て。お茶は1回ずつティーパックで出さなければいけないようです。
今まで白血球数が低下していた時に気をつけていたレベルとは比べ物にならないほどの徹底振りです。

明日からいよいよ移植の前処置が始まります。大量抗がん剤・・・1回の量ももちろん多いのでしょうけど、1日の投与回数も何回かあるようです。母がどうなってしまうのか気になって仕方ありませんが、私は遠くから祈るのみです。

前処置(自家移植)開始

2006年10月12日

今日から前処置が始まっています。1日目の今日は、それなりにきつかったようです。抗がん剤投与は4日間(~15日)の予定。本当にきついのは、まだまだこれからです。

2006年10月15日

この週末、弟が帰っているはずなので、母の様子を聞いてみました。私も近々実家に帰ろうと思っていたのですが、様子が分からないことには、帰っても無駄骨になりかねないからです。1番心配していた面会についてですが、子供でもOKと分かり、安心して帰れそうです。

弟が母のところへ行った時の話ですが、厳重に消毒とか特にそういうことはなかったようです。ただ物の受け渡しは、看護師を介してになるらしいです。
完全無菌室は2床あって、無菌室1、無菌室2という室名ですが、1つの部屋になっています。ガラス張りの部屋というと新生児室のような感じでしょうか・・・。面会室はそれぞれ別になっています。
会話は内線電話を使ってできます。試しにガラス越しに話をしてみたようですが、全くダメだったと言っていました。この部屋を見てみるのは、不謹慎かもしれませんが、少し楽しみです。

午後、母から電話がありました。今までの化学療法より、やはりきついようですが、思っていたほどではないそうです。我慢強い母なので、そうなのかもしれませんが、相当きついはずです。昨日や一昨日より少しマシみたいで、ベッドの上で少し体を起こせると言っていました。
食べ物は全く食べられなくなったと言っていましたが、アイスクリームなら食べれそうな気がするので、来る時には買って来て欲しいと言っていました。 ESHAP療法を受けている時、食べ物が全く喉を通らなくなったことがありましたが、唯一、美味しく食べれたのがアイスクリームでした。
無菌室には大きな冷凍庫も完備されているという話なので、たくさん買って行こうと思います。

自家抹消血幹細胞移植

2006年10月17日

いよいよ今日、自家抹消血幹細胞移植が行われます。移植が無事行われるのを見届けるために、帰省しました。しかし大渋滞や道路工事のために、予想外に時間がかかり、病院に着いた時には移植の最中だったので、終わるのを待って母と面会しました。

移植そのものは苦痛を伴うものではないのですが、前処置の抗がん剤の副作用がかなりきつそうでグッタリしていました。苦しくて全く起き上がれないし、声を出すのも苦しい(声を出すと吐きそうになる)ので、内線電話で少しだけ話をして、すぐに帰りました。
自家抹消血幹細胞は色も匂いもトマトジュースだったようです。ネットで他の方の体験談を読ませてもらうと、皆さんよく【海苔】のような匂いと表現されていたので、トマトジュースは意外でした。

移植そのものは所要時間30分足らずで終わったようです。今日のたった30分のために、この数ヶ月間、闘ってきたわけです。移植した細胞が再び母の体の中で造血機能を取り戻してくれるまで、もうしばらく時間がかかります。
まだまだ乗り越えないといけない課題もたくさんありますが、無事移植が終わったことは嬉しい限りです。

2006年10月18日

アイスクリームを買って母のところへ行きましたが、主治医の許可が下りず、当分、冷凍庫で出番待ちということになりました。抗がん剤の副作用だと思われますが、数日前から下痢だったようです。そういうことで念のため、止めておくようにということでした。

昨日より少し調子が良いらしく、起き上がって話をしたりしました。アイスクリームの他、着替えなども届けたのですが、無菌室には誰も入れないので、荷物の整理は全て自力でするしかありません。ベッドの横にある収納に入れようとするのですが、足がちゃんと立たず、途中でひっくり返ってしまうのでは・・・とハラハラでした。

今朝の血液検査で白血球は600まで減少しているとのことでした。G-CSF(白血球を増やす薬)の投与を開始したので、減少に歯止めがかかると良いのですが。数日前に血小板輸血を受けたようですが、血小板もまたかなり減ってきているようです。

2006年10月19日

しばらくの間、もう何も食べれていないようです。唯一、口から摂れるものは水分だけです。250mlのペットボトルのお茶を5本買って行きました。開封後1日で飲み切るようにすれば、衛生上、問題ないらしいです。
お腹は空くけれど、食べる気にはならないようです。吐き気止めをずっと使っているけれど、食べれない日が続いているので、ガリガリになってしまいました。

2006年10月21日

8月末に退院した時に、母が加入している保険の保険金を請求するために、主治医に診断書を依頼していました。その診断書が数日前、依頼してから1ヵ月半経って、やっと出来上がりました。主治医はかなり多忙な人なので(いつ見ても忙しそうに見える)、少々時間がかかったようです。
正直、遅いな~とは思いましたが、その多忙ぶりを見ていると当然なので、不満とかそういうことは全くありません。

昨日、父が母の代理人として郵便局に出掛けた時のことです。開封厳禁と書かれていた診断書の封を開封し、内容を確認して返してくれたので、その中身を見ることとなりました。
治療の経過の欄に、『治療開始当初、CHOP療法を行うが無効。ESHAP療法に切り替え、治療を行い、寛解を得た』と書かれていた。退院する時に、放射線科の医師から追加の照射を5回くらいするかもしれないという話があったので、非寛解での移植になるのかと気になっていたけれど(寛解での移植の方が当然、再発率は低くなる)、寛解になっていたことが分かって安心しました。

今日、自宅に戻りました。最近、帰り際にあまりそう思うことはなかったけれど、母の顔が少し寂しそうに見えました。
無菌室という孤独なところで(いつもの病棟ではなく、救命救急センター内にあるのも原因か?)、 移植という命を掛けた治療に臨んでいるのだから、決して口には出さないけれど、不安でいっぱいなのだと思いました。

2006年10月23日

白血球数が100にまで落ちました。G-CSF(白血球を増やす薬)を投与しているにも関わらず、この数値です。抗がん剤投与最終日から8日目なので、ちょうど副作用がピークに達する時期ではあるのですが・・・。前処置の大量抗がん剤の威力は恐ろしいものだと思いました。

2006年10月25日

白血球が500まで回復してきました。まだしばらくは低迷か?と思っていたところだったので(2日前が100だったので)、一気に400も増えたのには驚きました。副作用のピークが通り過ぎたようです。

一般病棟へ戻る

2006年10月27日

無菌室生活15日目、自家移植から10日目、ついに無菌室を出て、一般病棟へ戻ることができました。無菌室は窓がすごく小さくて、あまり光も差し込まず、薄暗い部屋だったので、大きな窓の明るい部屋に戻れて気分爽快だったようです。
気分が変わったせいか、全然食べれなかった食事も少し摂ることができたようです。

抗がん剤の副作用でまた脱毛が始まりました。今回の大量抗がん剤投与の前は、8月初めに化学療法を受けたのが最後だったので、その間が2ヶ月ありました。 2ヶ月の間に髪が少しずつ生え始めて、タンポポのような頭になりかけていたのですが、また全滅です。時間が経てば、きっとまた生えてくるんだろうけど・・。

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