悪性リンパ腫入院2006年8月

2006年8月3日

いよいよ化学療法最終回、5クール目が開始されました。今回ももちろんESHAPで、5日間連続の抗がん剤投与です。
まだその先に移植を控えているので、化学療法が予定通り終了したからと言って、治療が終わるわけではありませんが、これで一区切りつきます。この3ヶ月を振り返ってみると、あっという間だったような気がします。入院当初、化学療法を6クールやると聞かされた時には、気が遠くなりそうでしたから(最初の治療計画では6クールでした)。そうは言っても、母にとっては長い長い3ヶ月なのでしょうけどね。

1クール目、2クール目、抗がん剤が効かなかった時は、最悪のシナリオが頭をよぎり、この世の終わりかと思うくらい落ち込みました。 3クール目でESHAPと放射線が効いた時は本当にうれしかった。
一喜一憂しながら、何とかここまで来ました。一時退院まであと少し?頑張らなくちゃ。

2006年8月4日

母は今回はかなり調子が良さそうです。とは言ってもまだ2日目なので、今後の変化は分かりませんが・・・。
食欲があるみたいで、今までと比較するとかなり食べれているようです。母本人は満足しているみたいですが、周りからは『食べれるうちに、もっと食べなくちゃ』と言われるようです。みんな心配してくれているのでしょうね。
歩く足取りもしっかりしているみたいです。他の患者さんや看護士さんに『今までと違うね』と言われているみたいだし、母本人も『フラフラしないで歩ける』と言っていたので、きっとそうなのでしょう。

もうすぐ一時退院できることが、今、母の気持ちの大きな支えになっているのだと思います。『病は気から』というのと同じで、何でも気持ち次第なのでしょう。治療も病気も、気合いで乗り切って欲しいものです。

2006年8月7日

5日目。今日で5クール目の抗がん剤の投与は終わりました。そして移植前の化学療法も今日で終了ということになります。
さすがに5日目になると、体がきつくなってきたようです。

2006年8月9日

個室に移動になりました。白血球が減ってきたのが理由のようです。今までのパターンだと、白血球が底打つのはもう少し後ですが、今回は早めの対策を取ったようです。
クリーンルームではないので、子供の出入りも少しならOKということらしいです。子供はどんな菌を持っているか分からないので、出入りしないに越したことはないんでしょうけど、ちょうど明日から帰省するっていう時なので、出入りNGにならなくて助かりました。そうじゃないと私も出入りできなくなってしまいますから・・・。

目覚ましい回復

2006年8月10日

今日から帰省です。子供たちを連れて、初の公共交通機関による帰省でした。大荷物を持って、2回ほど乗り換えもあり、真夏ということもあって、かなりの重労働でした。所要時間も通常、車での帰省の時の2倍はかかりました。子供たちにとっては良い経験になったかな・・・と思います。

そんなこんなで夕方、やっと母のところに辿り着きました。昨日、個室に移ったばかりなのに、1日にして白血球が4200にまで回復していました。空気清浄機などは一切なく、普通の個室でしたが、外気を少し遮断するだけで、こんなにも違うものかと驚かされました。
明日には大部屋に戻れるようです。顔色も良く、食欲もあって、今までで1番元気そうに見えました。

2006年8月11日

朝、『タコ焼きとミニクロワッサンが食べたい』と連絡があったので、届けに行きました。JRの駅の構内に、関西人も認めるタコ焼き店があり、そこのタコ焼きと、同じく駅横のホテル内にパン店があって、そこのミニクロを買ってきて欲しいとのことでした。
今までのことを考えると、驚くほど食欲があります。順調に回復しているものと確信していました。そして一時退院の日も間近かな・・と。
午後から部屋移動があって、大部屋に戻りました。

まさか?の事態

2006年8月13日

今朝の血液検査で白血球が500に転落していたようです。順調に回復しているものと思っていたのに、まさかの事態でした。狐につままれたような・・・とはこういうことを言うのでしょうか。一時退院の日も近いと確信していただけに、正直ショックでした。母本人が1番ショックだったでしょうけど。

なぜ白血球が再び激減してしまったのか、原因を特定することはできませんが、恐らく理由は2つあると思われます。
1つ目は個室を出るのが早過ぎたこと。私たち健常者には痛くも痒くもない普通の空気ですが、大部屋の汚れた空気にさらされたことが悪影響を及ぼしたのでしょう。
2つ目はG-CSF(白血球数を増やす注射)を止めるのが早過ぎたこと。でも正常値に戻っていれば、続けて打つ必要はないのですから、仕方ないかもしれません。主治医の判断が間違っていたとは思いません。

造血機能をはじめ、いろいろな体の機能がすっかり落ちてしまい、普通の環境では回復できない体になってしまっているんだな・・・と改めて思い知らされたような気がします。移植前に行う予定の治療は終了しているので、数値の回復を急ぐ理由も無い為か、大部屋で乗り切ることになりました。

2006年8月14日

さらに白血球が減って、とうとう300になってしまいました。個室に移らせてもらった方がいいんじゃないのかな?と思いましたが、発熱など感染症と思われる症状もないので、大部屋のまま経過観察らしいです。本当に大丈夫なんだろうか・・。

母のところに行った時、赤血球輸血の最中でした。献血は何回もしたことがあるし、大学病院に勤務していた頃、冷凍状態の血液パックは何度も見たことがあったけれど、実際に輸血をしているところは初めて見ました。血液パック自体は冷たいのですが、点滴の管の途中に見慣れないコイル状のものがついていて、そこから先の血液は体温くらいに温かくなっていました。そのコイルに何か秘密(?)があるようです。

息子(3歳)は血液パックを見て、『ばぁ(母)はトマトジュースの注射してる!』と言っていました。たしかに色と言い、形状と言い、まるでトマトジュースそのもの。ですが、想像するとちょっと気持ち悪くなって、しばらくトマトジュースは飲みたくないな・・・と思ってしまいました。

2006年8月16日

自宅に戻る前に、午前中、母のところへ行ってきました。今日も見た目には問題なさそうだけど、数値的なものが・・・ダメなんでしょうね。1度は出た退院の話も、当分、お預けのようです。
きっと主治医の先生も、お盆頃までに退院できるように・・・といろいろ計らってくれていたんでしょうけど、残念ながらそれは叶いませんでした。

血小板輸血3回目

2006年8月18日

白血球が何とか1100まで回復してきました。今回はかなりのんびりペースです。この調子だと正常値に戻るのに、あとどれだけかかるのだろう・・・と気が遠くなりそうな気もしますが、 今までの経過を見ていると、回復し始めると加速してくる傾向があるので、今回もそうあって欲しいなと思います。
血小板輸血も受けたようです。血小板輸血は通算3回目になります。造血機能が抗がん剤で破壊されまくっているんでしょうね。抗がん剤が【諸刃の剣】と言われる理由が納得できます。

母の場合、標準治療では対応できず、難治性や再発時に適用されるESHAP療法が行われたから、そのためにダメージも大きいのかな?と思います。
ですが移植直前になると、大量化学療法が行われるので、それがESHAPと比較するとどれだけ大量になるのかは分かりませんが、一体どれだけダメージを受けることになるんだろう・・・と正直かなり不安になってきました。移植前の大量化学療法は致死量だと聞きますから。

目に異変

2006年8月19日

夕方から突然、目に激痛を感じ、目を開けることができなくなったようです。右目が特に痛みがひどく、左目もかろうじて開けられるかどうか・・・のようです。右側にずっと放射線を当てていたから、その影響でしょうか。

先日、放射線の副作用による白内障なのか、だんだん見えにくくなってきたので、眼科で視力検査を受けたと言っていました。元々、年齢のわりに視力は良く、両目とも1.5~2.0くらいあったのですが、右目は検査表の1番上が見える程度に落ちていたようです。
その時、目の表面に何か膜が張ったような異常があったけど、白内障ではなく、その時は特に診察などはしなかったようです。白内障じゃなくて良かった・・・と母本人は喜んでいましたが、その異常が激痛になって襲いかかってくるとは思わなかったことでしょう。
週明けに眼科医の診察があるまで、軟膏と眼帯などで対処するようです。

2006年8月20日

今日は母の誕生日。この日までには退院しているだろうと思っていたので、『パーティでもやろう!』と話していたのに、まさか病院で迎えることになるとは・・・。 一生忘れることのない誕生日になることでしょう。
点滴ボトルに張ってあるシールの年齢表示も、今日から【57歳】に変わっているのかな?と考えたりしました。

今朝、左目は何とか開けられるようになりました。主治医の先生も不在、眼科医の診察もまだなので、はっきりしたことは分かりませんが、白血球が低い状態が続いていたので、何らかの感染症にかかってしまったのではないかということです。それを聞いて、個室に移っていれば、こんなことにはならなかったのでは?と思いました。
今さら遅いのですが、やはり白血球が激減していて、尚且つ、母のように体の機能面も低下している場合には、 個室に移すべきだったのではないかと思いました。

目の異変とほぼ同時に、口の中も切れたような傷だらけ(口内炎?)になっているようです。やはり今回の原因は感染症にあるように思います。週明けの診察を待つのみです。

血小板輸血4回目

2006年8月22日

4回目の血小板輸血を受けました。ここのところ輸血続きです。こんなに立て続けに輸血を受けていると、いろんな意味で大丈夫なの?と正直思ってしまいます。
輸血って、何だかすごく特別なことのように思っていた分、初めて輸血を受けたと聞いた時は、かなり衝撃を受けました。乳癌の切除手術を受けた時でさえ、輸血は受けなかったくらいなので・・・。さすがに通産6回目ともなると、『またなの?』くらいで、最初のような衝撃はなくなりました。
どこかで誰かが献血してくれた貴重な血液を、母はもらっているわけです。私も頑張って献血しなければ・・・と、再び献血に対する意欲が沸いてきました。
明日は血液検査があります。この結果で、退院が決まりそうです。

2006年8月23日

今朝の血液検査で白血球は4600になりました。血小板輸血の効果で、血小板もなんとか正常値に近いところまで回復しました。これできっと退院決定でしょうけど、残念ながら主治医の先生が今日まで夏期休暇ということで、審判は明日以降になりそうです。

夕方、眼科の診察がありました。今の母の目の状態は、極端に涙の量が少ないようです。もともとドライアイには悩まされていましたが、重症のドライアイと言ったところなのでしょうか。放射線の副作用説が有力ですが、後日、詳しく検査をするようです。

退院決定

2006年8月24日

明日、退院することに決まりました。5月11日の初回入院から107日目にして退院です。私にとっては終わってみれば、長かったような短かったような入院期間でしたが、母にとっては長かったに違いありません。

今後、移植を控えているので、退院と言っても一時退院ですし(多分、年内には移植を受けることになるでしょう)、寛解になったとは聞かされていないので、両手を挙げてバンザ~イという感じではありませんが、とりあえず一区切りつきます。

退院

2006年8月25日

CT撮影と眼科を受診してから、退院になりました。次回は9月4日に外来受診です。
CTの結果がどうだったのか、気になります。次回、外来受診の時にでも、教えてもらえるのでしょうか。寛解になっていれば、言うこと無しですが・・・。

目はいろいろ検査を受けた結果、角膜に異常を来たしているようです。原因はやはり放射線のようです。角膜の表面が剥がれたようになっていて、瞬きなどをすると、さらに剥がれて痛みを感じたり、剥がれた角膜のせいで視界が白っぽく霞んでいるのではないかということです。
これは飽くまで推論であるし、これと言った治療法が無いようです。そもそも放射線によって細胞が破壊されたことによって起こっているのですから、自然に回復するのを待つしかないということなのでしょう。
しかし、それも治るのか治らないのか分からないし、治るとしてもかなりの時間を要するだろうということでした。

私は弱視のため、物心ついた頃から、右目はほとんど見えていません。しかし、そういう状態で成長してきたので、右目が見えないことで不便なことはありませんでした。右側のものを見る時は、顔全体を右に振って左目で見れば良いわけですから。
母の場合はこの年齢で急に見えなくなったのだから、かなり不便で不快な思いをしていると思います。多少、時間がかかっても、また見えるようになると良いのですが・・・。

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