悪性リンパ腫入院2006年7月

爪もみ

2006年7月1日

移植を受けると半年以上は生ものが食べれなくなるので、刺身が食べてみたいという母のために今日は鯵の刺身を作りました。抗がんには青魚が良いらしいので、どうせなら青魚を・・・と思って。外泊中はとにかく母の食べたいものを聞いて、優先的に献立を決めます。

先日買った【冷えを治して病気を治す】という本で紹介されていた爪もみ、手は母自身にしてもらい、足は私がしてあげました。
母のように冷え性の場合は血流不良で、リンパ球が少なく、リンパ球が少ないとガン細胞に有利になってしまいます。時間があまり取れなくて、夜寝る前に15分くらいしかできなかったのですが、夏でも冷たい母の足はポカポカになって、よく眠れたと言っていました。

2006年7月3日

午前中、母は病院に戻りました。母を送り届けて、私も1週間ぶりに自宅に戻りました。
母は外泊の間に体重が1kg減っていたようです。 病院にいる時は24時間点滴(吐き気止め入り)が入ってるから、吐き気が抑えられていて、食事が摂りやすい状態だったのかもしれません。

6月30日のCTの結果、あと5回放射線が追加になったようです。私はCTを見ていないので、何とも言えないのですが、外見には分からない腫瘤が残っていたのでしょうか。それとも念のため?
しかし放射線の追加分は当面休みです。目の周りの皮膚の状態が悪く(6月30日参照)、これ以上の放射線に耐えられないらしいのです。まずは皮膚の治療をし、皮膚が回復してから追加照射になります。

2006年7月4日

今日で一旦、放射線が終了しました。軟膏が処方され、それを塗ると、目の周りの傷は楽になるようです。
でも抗がん剤で免疫力が落ちているので、健康な時に比べて回復するペースが多少遅いのではないでしょうか。

2006年7月6日

4日で放射線が終わり、今週から始まると言っていた化学療法の4クール目も来週まで延ばすことになったので、今日からまた外泊許可が出て家に帰ったようです。

2006年7月7日

母の味覚障害、何とかならないのかな?と思い、いろいろ調べていたら、亜鉛で緩和されることが分かりました。亜鉛が不足すると味覚障害が起こるらしいのです。
ただし抗がん剤など薬が原因の味覚障害の場合は、薬が亜鉛を体内に吸収させず、体外に排出するために起こるものなので、 あまり効果が期待できないかもしれません。
でも試して見る価値はあるかな?という気はします。亜鉛は病院では処方してもらえないので、ドラッグストアーなどのサプリメントで良いそうです。

2006年7月9日

今夜、病院に戻る予定だった母は、病院から『16時までに戻るように』とTELがあったらしく、予定より少し早めに病院に戻ったようです。理由は点滴を開始するため。点滴開始ということは、明日から化学療法(4クール目)が始まるということです。

4クール目も前回と同じ救援治療のESHAP療法ですが、現在、放射線は休養中だから、3クール目の時のように併用していない分、『副作用は少しマシになると思う』と主治医や看護師が言っていたそうです。本当にそうなら良いのですが・・・。

化学療法4クール目

2006年7月10日

化学療法の4クール目が始まりました。今日から5日間連続で抗がん剤が投与されます。
母が『塩味が少し分かるようになってきた』と言っていたけれど、これでまた味覚が全く無い状態になってしまうかもしれません。

2006年7月12日

3週間前に伯母と叔父(母の姉弟)に検査を受けてもらい、10日前に母自身も検査を受けたHLAの型、残念ながら不一致でした。
4分の1の確率とは言え、2人もいるんだから、どちらか合うんじゃないかな?と思っていたけれどダメでした。同種移植ができれば、完治できる可能性がさらに高まると期待していただけに残念でした。持病のためにこの検査を受けなかった伯母の1人がもしかして母と一致していたとしたら、もっともっと残念です。

同じ血縁間でも、親子になると数パーセントの確率にまで下がってしまうので、残された道は、自家移植か骨髄バンクを介しての非血縁間同種移植になります。
自家移植の場合、移植するのは自身の細胞だから、採取した細胞にがん細胞が混入してしまっている可能性がゼロとは言えません。そのため同種移植に比べれば、再発率が若干高めになります。
非血縁間になると、健康な細胞をもらうのだから再発の可能性はより低くなるものの、GVHDが強く出る可能性が高く、GVHDが命取りになることがあります。
どちらも一長一短です。あとは主治医がどういう判断を下すのか 、お任せするしかありません。

GVHDとは拒絶反応と似ているようで、全く違うものです。GVHDとはドナーの造血幹細胞(移植片)から生まれた白血球が患者の体を異物とみなして攻撃することを言います。拒絶反応とは新しく患者の中に入ってきたドナーの細胞を異物とみなして、攻撃することを言います。

2006年7月14日

ESHAP療法5日目。今日で抗がん剤の投与が終了しました。昨日までは比較的楽だと言っていたけれど、さすがに副作用が強く現れてきたみたいで、今日はダウンしているようです。

前回(3クール目)は初日からいきなり苦しみました(3クール目は放射線を併用していました)。4~5日目から強くなるというパターンは1クール目と2クール目と同じです。 ESHAP療法(救援治療)でも、化学療法単独の場合は同じような感じかな? と思いました。それとも先が少し見えてきて(抗がん剤が効いている)、気持ちに余裕が出てきたからでしょうか?
前回の時はメールも全くできない状態でした。今回はメールもできる状態なので、少しは楽なのでしょう。

2006年7月16日

今日も調子が悪そうでした。食べ物が喉を通らないようです。
喉を通らない・・・というと、通常の私たちの感覚では『食欲がなくて食べれない』状態を言いますが、母の場合は物理的に喉を通らないのです。副作用のせいで、粘膜がボロボロになっていて、喉につっかえて、飲み込むことができません。

味覚はおかしくなっていますが、お腹は空きます。食べたい気持ちは普通にあります。味覚が感じられない分、普段以上に食べ物に対する思いが強くなっていると思います。
また体のことを思えば、頑張って食べておこう・・・とも思うでしょう。食べたいのに食べれない状態なのです。

2006年7月17日

最近、母はやたら『早く帰りたい』、『早く出たい』という言葉を連発しているように思います。闘病生活が始まってから、2ヶ月も経つんですから、そういう気持ちになるのも当然です。私なんて、出産で入院した5日間でさえ苦痛でしたから。
2ヶ月が経過しましたが、治療はやっと後半に入ったところです。今後予定している移植にかかる時間も考えれば、最低でもまだあと3ヶ月は入院が必要になるのでは?と私は予想しています。

こんな時、気の利いた言葉でもかけてあげられれば良いのでしょうが、言葉が見つかりません・・・。力の無さを感じてしまいます。

2006年7月19日

少しずつ楽になってきたようです。食事も僅かながら食べれたようです。多分、愛用のレトルトお粥が何口のレベルだとは思いますが・・・。
それでも食事は回復のバロメーターなので、食べれたと聞くと安心です。

輸血

2006年7月22日

食事量は順調に回復しているようですが、G-CSFを注射しているにも関わらず、白血球数の回復が遅れているようです。度重なる化学療法で、だんだん回復しにくくなってきたのでしょうか。今まではG-CSFを使うと2~3日で回復していたのに。今週末は外泊させてもらえる話があったようですが、このため中止になりました。

今日は輸血を受けたようです(多分、赤血球輸血だと思われます)。1ヶ月前に血小板輸血を受けた時には、発熱や倦怠感といった副反応があって辛そうだったけれど、今回はどうでしょうか・・・。何事もなければ良いのですが。

クリーンルーム

2006年7月23日

クリーンルームに移動になりました。G-CSFを使っているのに、白血球数がなかなか回復してこないため、移動になりました。ベッドの周りは、ビニールカーテンが張られ、空気清浄機が常時運転、バス、トイレ付きの完全個室です。
クリーンルームは白血球減少による感染症防止の目的で入る部屋なのかなと思っていましたが、それだけではないようです。雑菌の多い大部屋より、きれいな空気の環境にいた方が、白血球の回復が早いらしいのです。

母は個室使用料がどうなるのかを気にしていました。希望して個室に入る場合は当然かかりますが、こういう場合でも、やはり使っていることには変わりないので、かかるのでしょうね。部屋代なんて気にしなくてもいいのに・・・。

2006年7月24日

今後の治療予定が少し分かりました。化学療法は当初予定していた6クールから1クール減って、5クールで終了するそうです。その後、一旦退院し、1ヶ月くらい自宅で過ごし、移植のために再び入院。追加分の放射線療法を行って、それから移植に入るようです。
今のところ、骨髄バンクに登録したという話は聞いてないので、移植は自家移植になるものと思われます。

白血球が回復し次第、5クール目に入るはずなので、上手くいくと8月中に一時退院できる可能性も出てきました。

血小板輸血2回目

2006年7月25日

血小板輸血をしました。血小板輸血は通算2回目、約1ヶ月ぶりです。
今回もまた全身に痒みが出たみたいで、注射を2本してもらったようです。3日前にした赤血球輸血では特に何とも言ってなかったので、目立った副反応などは無かったのでしょう。しかし今回もまた・・・ということは血小板は体に合わないんでしょうか。一般的にそういうものなのでしょうか。

調子はかなり良いみたいです。『調子は良いのに、何でこの部屋(クリーンルーム)何だろう?』って愚痴もこぼしていました。白血球の数値、少しは上がってきていると良いのですが。
明日、血液検査があるようです。どんな結果が出るでしょうか・・・。クリーン解除になれば、外泊許可が出るらしいです。母の外泊にいつでも対応できるように、私も帰省の準備を始めようと思っているところです。

クリーン解除

2006年7月26日

やっと白血球の数値が上がってきたみたいです。クリーン解除になりました。クリーンは解除になりましたが、部屋が空いていないらしく、引き続き個室を使用中です。

明日から外泊の許可が出ました。今までの外泊の中で1番体調が良いらしく、やりたいことがたくさんあるようです。
まず外食。自宅近くに美味しいうどん店があるのですが、そこへ行きたいようです。 そして買い物。気分転換に店をフラッとしたいようです。
母は一応、主治医に確認してみると言っていたけれど、多分、禁じられることはないんじゃないかな?と思います。なるべく人込みに出ていかないに越したことはないけど・・。

母の外泊に合わせて、私も明日から帰省です。せっかくの外泊なので午前中のうちには迎えに行けるように、なるべく朝早く、ここを発ちたいと思っているのですが、子供たち次第かな・・・。

2006年7月27日

朝8時前に自宅を出発して、母のいる病院に向かいました。母が『外食がしたい』と言っていたので、正午までに着くことを目標にしていましたが、予定より少し早く着きました。
昨日、大部屋が空いていなかったので、『それなら今すぐ帰る』と母が言ったら、主治医に拒否されたと言っていました。ところが 主治医は帰ったものと思っていたようです。今朝になって、『あれ?まだいたの?』と言われたらしく、母は半日損をした・・・とガッカリしていました。

結局、外食はしないで帰ったのですが、スーパーに寄りました。母は入院当日に買い物に行って以来、2ヶ月半ぶりにスーパーへ行ったので、『外の空気に触れた』と、とりあえず満足しているようでした。

移植までの期間

2006年7月28日

昨日、母は自宅に帰る前に、看護師さんと話をしていた中で、今後の移植のことが話題になったようです。今回の外泊が終わり、化学療法の5クール目が終わったら、一旦退院して、移植前に再入院する・・・ということは主治医から聞いていたようですが、看護師さんの話だと、退院~移植までの期間を3ヶ月くらい空けるらしいのです。
そうなると、移植の実施は11月後半以降になりそうなので、今年中に移植を終えて退院できるか微妙なところです。母は移植までの期間は1ヶ月くらいだと思っていたので、今年中には終わらない可能性も出てきて、ちょっとガッカリしていました。でも中には半年くらい間を空ける人もいるようです。

母は看護師さんに理由は聞かなかったみたいですが、私が想像するには、移植前に少しでも体力というか体の機能を回復させる時間が必要なのかな?と。それとも、以前にネットか本で見てはっきりと覚えてないけど、なるべく完全寛解の状態で移植を受けた方が効果的とあったので、寛解が維持できているかを確認するような時間なのかな?と。
もちろんその間にも通院で常に状態をチェックするだろうけど、もしも、万一、その間にガンがまた増殖・・なんてことはない???この空白の時間って、どうなんでしょう。

2006年7月30日

夕食後、母を病院に送り届けてきました。もうすぐ退院できるとあってか、母も私も気持ちに少し余裕が出てきました。以前だったら、病院に戻すのがどうしようもなく辛かったのですが、今回はあまりそれを感じませんでした。この外泊期間中、比較的母の体調が良く、自宅でほどほどにやりたいこともできたりして、そういう満足感もあったのかもしれません。

母はご飯が喉を通らず、主食だけは売店でお粥を買ったりしていましたが、今回家に戻っている間に、お茶漬けが美味しく食べれることを発見して喜んでいました。もちろん お茶漬けの素を持って病院に戻りました。病院食も普通のご飯に戻し、お茶漬けにして食べるつもりのようです。

2006年7月31日

今日から治療開始(化学療法前日の点滴開始)と思っていたのですが、今日は血液検査があっただけでした。
目ヤニが出るようになってきたらしく、少なくなった睫毛は目ヤニで固まって、さらにまばらになっていました。ここにきてまた放射線療法の影響が出ているようです。最近、視界も霞んだような感じで、少し見えにくくなったと言っていました。 あまりひどくならないといいのですが、やはり白内障は免れないのでしょうか。

今日は私も自宅に戻りました。次は盆頃に帰省するつもりですが、その頃は白血球が最低値まで下がる頃かと思います。またクリーンルームにでも入れば、子供連れの私は母のところへは行けなくなってしまいます・・・。

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