悪性リンパ腫入院2006年6月

バンダナ

2006年6月1日

腫瘍が少しずつ復活してきたみたいです。やはり今回も抗がん剤の投与直後だけの効果だったのかな・・・。かなりの抵抗性です。
1クール目と薬を変えて、副作用が軽く済んで良かったな~と思っていたのに、結果的にはちっとも良くないということです。今後がとても心配です。合う薬(効く薬)は無いのでしょうか・・・。

昨日、私が帰った後にシャンプーをしたら、さらに髪の毛が抜けたようです。毛2:地肌8になってしまいました。いよいよバンダナの出番です。今までバンダナって頭を隠すために使うものだと思っていました。けれど、それ以外にも重要な役目があったんです。抜けた髪がパラパラ散らからないようにするという・・・。

2006年6月2日

白血球が2000に落ちました。昨日より調子も悪そうで、今日が副作用のピークと思われます。
最近、顔が小さくなってきたような気がします。母に聞いてみると、やはり体重が減ってきているようです。

2006年6月3日

やはり昨日がピークのようでした。今日は顔色が良くなっていました。しかし腫瘍が日に日に大きくなってきているのが分かります。やはり今回も失敗なのか・・・。
食欲があって、母の元気そうな姿が見れるので、それが救いです。

かつら

2006年6月5日

白血球が900になりました。3クール目に向けて、白血球数を上げるための注射(G-CSF)が昨夜から始まりました。

院内の美容院に注文していた【かつら】が届いたので、合わせに行きました。違うスタイル・色のものを3つ取り寄せ、実際につけてみて最終的に1つに決めました。母に合わせてカットしてもらって完成です。値段は5万円でした。医療用かつらだから高そうと思っていましたが、 母が持っている某有名メーカーの部分かつら(数十万円)のことを思えば、良心的な金額だと思いました。とても自然でかつらには見えません。早くこのかつらをつけて外出できる日がくればいいのに。

放射線療法

2006年6月6日

明日から放射線療法が平行して行われることになりました。予定では20回です。やはり化学療法だけでは太刀打ちできないということなのでしょう。
次回の化学療法(3クール目から)も、今までの標準治療から強力な救援治療に増強されることになりました。それほど状況は厳しいということなのでしょう。主治医から説明があったわけではないけれど、今の状況を見ていると、そう思わざるを得ません。

顔のCT撮影がありました。腫瘤の位置や大きさを確認するための検査らしいです。その後、頭の型取りをしました。私が大学病院で看護助手をしていた頃、放射線科の病棟にいたのですが、患者さんは放射線の照射位置にマジックで印を書き、薄くなってきたら、また書き足すということを繰り返していました。
顔だからどうするのかな?と思っていましたが、さすがにマジックで印を書くわけにはいかないので、型を作ったというわけです。放射線の照射位置がズレたら大変ですから。放射線の目への障害(白内障など)が心配ですが、命には代えられません。

1週間、母の側にいましたが、今日、後ろ髪引かれる思いで自宅に戻りました。

2006年6月7日

予定通り、今日から放射線療法が開始されました。照射時間は30秒くらいで終わるようです。副作用が軽く済むと良いのですが・・・。

外泊

2006年6月9日

今日から2泊の外泊許可が出ました。入院して以来1ヶ月ぶりに家に帰りました。
一昨日から始まった放射線療法、今日で3回目が終わりましたが、ガン細胞に効いているみたいで、腫瘍が小さくなってきたと言っていました。週末は放射線は休みですが、その間に復活してきたりなんてしないよね・・・と私の方がちょっとビクビクです。これに化学療法を合わせたら、今度こそガン細胞をやっつけられるのでは?と期待大です。

化学療法3クール目

2006年6月12日

化学療法の3クール目が始まりました。今回は救援治療のESHAP療法が行われます。今まで1日目だけだった抗がん剤の点滴が、5日連続になります。
ESHAP療法は再発の時などに行われる治療なので、かなりきつい治療です。副作用の強さは、薬の強さに比例します。それがとても気掛かりです。母の場合、こういう治療法でなければ、効果が出ないようなので、仕方ありませんが・・・。

今朝5時頃、大分を震源とする地震がありました。広島も震度4の揺れで、私が今まで経験した中では、1番揺れの大きい地震でした。親子4人で寝ているのですが、狭い部屋にはタンスやその他大きな家具も置いてあります。家具が倒れてきても下敷きにならない位置か、寝相の悪い子供たちの居場所をすぐに確認しました。長い時間、強く揺れて、とても怖い思いをしました。
地震の影響でJRが不通になってしまい、夫は仕事に出掛けたものの会社にたどり着けず、家に帰ろうにも電車が動かず、身動きがとれなくなってしまい大変でした。

帽子

2006年6月14日

化学療法3クール目の3日目、今日もまだ副作用はひどくなっていないようです。電話で話した声もしっかりしていたし、食事も摂れているみたいだし。
母の入院している病院は、携帯電話使用OKです(使用不可のところもあります)。病室内での使用もOKなのは、多分、珍しい方だと思います。メールも全然問題ないし、通話もして良いことになっています。そのおかげで私は母の様子も分かるし、とても助かっています。

今日も私は帽子探しに出掛けました。バンダナはクルクル動くし、寝た時に結び目が気になることがあるようです。そこで母は帽子が欲しいと言うのですが、母が望んでいるような布製のニットキャップのような形ものは、なかなかありません。 店をいろいろ見て回ったけれど、見つけることはできなかったので、布を買ってきて私が作ることにしました。

2006年6月15日

副作用がものすごく強くなってきたようです。起き上がるのも嫌なくらい、どうしようもなく体がダルかったようです。1日中、トロトロ眠っているような感じだったと言っていました。やはり4日目以降になると、副作用の現れ方が強くなるようです。

今日は朝から雨、子供たちは遊びに夢中になっていたので、私は帽子作りに専念しました。 6枚剥ぎで、花柄のリバーシブルの可愛らしい帽子が完成しました。

2006年6月16日

母からのメールで、明日、主治医から何やら大事な話があるらしいことを聞きました。今までこちらからお願いして、話を聞かせてもらったことはあったけど、主治医の方から言ってくるんだから、これは余程のことだと思いました。母が悪性リンパ腫になって以来、ネットなどを通じて私なりに勉強しているのですが、そこから得た知識で、『きっと移植のことだ』と、ピーンときました。
明日は弟は仕事で帰れないというので、私が急遽帰り、一緒に話を聞くことにしました。

造血幹細胞移植の話

2006年6月17日

昨夜遅く実家に帰りついたのですが、緊張のせいか早くから目が覚めてしまいました。
10日ぶりに会った母はゲッソリ痩せていました。ESHAP療法は相当きついらしく、倦怠感や吐き気、前までは濃い味のものなら何となく感じた味覚が、全く無くなってしまったようです。
放射線の副作用か、喉が枯れて話す声も弱々しく、かなり衰弱してしまったように見えました。しかし腫瘤はみごとに消えていました(外見上は)。

主治医の話が始まりました。まず今までの経過から。
化学療法1クール目、2クール目は標準治療を行い、抗がん剤投与直後は一時的に効果があったものの、強い抵抗性だったので、標準治療では太刀打ちできないと判断し、3クール目からは救援治療と放射線療法を併用した。 3クール目の治療でやっとガン細胞を押さえ込めるようになった。
あと3回、化学療法を行い、放射線も当て、徹底的にガン細胞を叩いた後、造血幹細胞移植を行いたい、と。まず同種移植を想定し、姉弟にHLA検査を受けてもらいたい。検査方法は10ccの採血でできるので難しいことではない。 同じ親から産まれた子供はHLAが一致する確率が4分の1。例えば母と私、親子になると数パーセントの確率(まず一致はない)になってしまう。骨髄バンクで探す可能性もあるかもしれない。次に自家移植を想定し、近いうちに母の抹消血幹細胞を採取する。
どちらの方法で移植を行うかは、今の時点ではまだ判断できないが、今後、寛解になってもいずれかの移植を行わなければ、 再発する確率は60~70%だろう。

『移植を受けて、長期生存(完治)している人はたくさんいます。大丈夫、頑張ろう!』と言って主治医の話は終わった。母は涙を流し、父は明らかに動揺していた。
ほんの1ヶ月前に突然の入院、そして単刀直入に言えば、『移植を受けなくちゃ、先は長くないよ』という意味のことを言われ、 セカチュー(世界の中心で、愛をさけぶ)の世界に突き落とされてしまった。映画を見て『こんな悲しいことがあるんだな』と涙した自分の身に同じことが起こっているのだから。

味覚障害

2006年6月18日

味覚障害がひどく(喉の粘膜異常もある)食事が全くと言って良いほど摂れない状態なので、病院食を止めた。その時の気分で食べれそうな気がするものを売店で買ってきた方が良さそうということで。
分かるのは、食感と温度のみ。昨日も散らし寿司が食べてみたいというので、酢をたくさん入れて作ったけれど、味が無かったらしい。冷えたおにぎりが食べやすいと聞いたので、おにぎりを保冷剤で冷やしながら持って行った。
味覚の中で、唯一、甘みだけは僅かに分かるらしい。アイスクリームは甘いし、口の中で溶けるので、喉も問題なく通っていくらしい。

嗅覚

2006年6月19日

臭いにものすごく敏感になっているらしい。つわりのようだとか。 同室の人の食事の臭いで吐きそうになるらしい。なんと先日、完成した帽子も、新しいもの独特の臭いが気になると言ってました。
今日は新しいニットキャップ形の帽子が完成したけれど、そういうわけで洗濯してから送ることにしました。もちろん柔軟材は使いませんでした(臭いがするので)。

HLA検査

2006年6月20日

今日は母の伯母たちと叔父がHLA検査を受けるために、四国から来てくれました。
HLAを調べるのは健康保険が利かないので、実費で2~3万円かかるそうです。しかし移植をする施設(指定された病院)で受ける場合には、実費がかからないので(病院負担になるらしい)、遠路遥々来てもらいました。

ドナーの条件は健康体であること。治療中の病気などがある場合は対象から外れてしまうので、母の姉弟3人中、2人に受けてもらいました。もし検査を受けなかった1人とだけHLAが一致していたら・・・悔しいなぁと思うけれど、仕方ありません。
ちなみに母も含め、みんな同じAB型です。血液型は関係ないのですが、でももしかして・・・と考えてしまいます。

冷えと病気

2006年6月21日

今日、書店で【体の冷えとって病気を治す】という興味深いタイトルの本を見つけたので買いました。最近、医学関係の本ばかり買っているような気がします。

体が冷えると病気になりやすく、また病気の人は共通して低体温なのだそうです。温めることで病気になりにくく、また病気になっても治りやすい体になるそうです。
母は極度の冷え性なので、23年前の乳がんのこともあるし、すごく当てはまっているような気がしました。体を効果的に温める方法や、副交感神経を刺激すると言う爪もみ療法、その場足踏みなど簡単にできそうなことが書かれているので、しっかり読んで母に伝授しようと思いました。

血小板輸血

2006年6月26日

血小板輸血を受けました。化学療法と放射線療法で、血小板が減ってしまったみたいです。曖昧な記憶ですが、以前に本で、白血球は時間をかければゆっくりでも復活するけど、血小板はできない・・・と書いてあったような気がします。
輸血を受ける前に同意書を書かされたそうです。乳がんの手術を受けた時でさえ輸血は必要なかったので、初めての輸血です。血小板輸血では血液型のみを合わせ、HLAまでは合わせないので、副反応が起こることがあります。母は副反応が出ました。熱が出て、体がしんどくなったようです。2日ほどで回復しました。

2006年6月27日

10日ぶりに帰省しました。母に会った第1印象は、何だか顔が黒くなったということです。放射線で皮膚が炎症を起こしてるのが1番の理由だと思うけど、窓際のベッドだから単なる日焼けもあるだろうし、今、全く肌の手入れなんてできなくて、日に焼けたまま放置ってこともあるだろうし。
いろんな理由があってでしょうけど、とにかく黒かったです。

2006年6月28日

お粥がブームのようです。普段はレトルトお粥を温めずに冷たいままで食べるようですが、作ったお粥(煮て冷えたもの)が食べたいというので、作って持って行きました。母の要望でシーチキンを添えて。美味しく食べれたようです(完食)。
抗がん食品としてニンジン1日1本と聞いたので、ニンジン粥も作りましたが(すり下ろして)、こちらは舌触りがザラザラして受け付けなかったようです。シーチキンはOKなのに、何だか不思議な感じです。

抹消血幹細胞採取

2006年6月29日

母の抹消血幹細胞の採取が3時間かけて行われました。普段は骨髄中にしかない幹細胞が、化学療法などで白血球が上がってきた時には血液中にも流れ出すので、機械を使って掻き集めます。片腕から血液を抜き、機械に通して、血液中の幹細胞だけを採取し、反対側の腕から血液を体内に戻します。成分献血と似ています。

体内の血液が常に抜かれて減少している状態だし、最近、食事が満足に摂れないせいでカルシウム不足になっていて、それが原因になり、ひどい寒気がしたり全身が痺れて、かなり辛かったみたいです。
採取終了後、カルシウム剤を注射され、しばらくすると痺れが少し緩和してきました。

外泊

2006年6月30日

今日から外泊許可が出たので、約1ヶ月ぶりに外泊できます。今回は3泊できます。午前中に放射線とCT撮影、母のHLAを調べるための採血があり、その後、家に帰りました。

CT撮影は放射線療法を始める前に撮って以来なので、約1ヶ月ぶりになります。放射線開始前の予定では7月4日までで終了ということになっていましたが、今回のCTの結果でそのまま終了になるか、追加が必要か、判断が下されるようです。

前回の外泊の時は、私は帰省していなかったのですが、少し庭いじりをする元気もあったようです。今回は体がしんどいみたいで、食事、トイレ、入浴の時以外はずっと寝たきりです。この外泊の間に、母が『食べれるか、食べれないか分からないけど、試しに食べてみたい』というものを、いろいろ作って食べさせてあげるつもりです。

昨日くらいから目に異常が感じられるようになりました。放射線の副作用と思われます。朝起きると目ヤニで目がくっついていたり、ゴロゴロと異物感があるようです。
これは目薬を処方してもらいました。右目の周りの皮膚も真っ赤になって、パチパチひび割れたようになり、痛々しい状態です。しかしこれは放射線療法が終了するまでは何もできず、我慢するしかないようです。薬などを塗ると、放射線と化学反応を起こしてしまうからです。

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