悪性リンパ腫母を失ってから2008年~2012年

長男の傷心(2008年1月15日)

夕方、食事の準備やお風呂の準備でバタバタしていると、なぜか上の子が涙ボロボロで泣いていました。下の子とケンカをしたわけではなさそうだし、『どうしたの?』と聞くと、意外な返事が返ってきました。『ばぁのことが大好きだったのに、どうしてばぁは死んじゃったの?』と。どうして急に思い出したのかは分かりません。
『あのね、ばぁとお話しがしたいの!ばぁと遊びたいの!なんで死んじゃったの?治って欲しかったのに』ずっとそう訴えていました。

頑張って治療したけど、難しい病気で治らなかったこと、ばぁもあなたのことが大好きだったこと、姿は見えないけれどいつも側にいること、間もなく5歳になる上の子に理解できるかどうか分からないけど、説明してあげました。

命日(2008年4月17日)

1年前の今日、母はこの世を去りました。時の経過というのは早いものです。6時30分、母が逝った時間にバルコニーで1人空に向かって黙祷しました。今日も母はあっちこっちと忙しく大空を飛び回っているんだろうな・・・と思いながら。

今でもどこかに母がいるような気がします。ある方が言っていた言葉をふと思い出しました。かなり昔、ご近所で家族ぐるみでお付き合いのあった方で、その方のご主人は今から4年ほど前に自ら命を絶たれました。『3年が過ぎた頃くらいからかな・・いなくなったんだ、もういないって諦めというか、やっとそう思えるようになった。それまではいつもどこかに姿を探していた。』と。3年くらい経てば、私ももう少し強くなれるのでしょうか・・・。

今になっても1番気掛かりなこと。『ダメな時には告知して欲しい』そう頼まれていたのに、『移植が成功して、もうすぐ治る』と私は嘘を付いてしまいました。この世で命が消え、それで終わりなら、それでも良いと思っていました。でもそうじゃなかった。母は度々あちこちに姿を現していたのだから、母の命が消えたわけではないのです。自分が死んでしまったことを母自身は知ってしまったのです。つまり私は母に嘘を突き通したつもりが、突き通せていなかったことになります。私の人生で最大の嘘。後悔はしていないけれど、今でも辛いです。

古と今のまなざし展(2008年5月3日)

母が仕事で出入りしていた店の奥様が企画運営する展示会に母の作品も展示されることになり、初日の今日、足を運んで来ました。私は午後から会場へ行ったのですが、既に400人以上の来場があり、午前中は大混雑で大変なことになっていたそうです。

母の作った人形たち、遺影、私の作ったメッセージカードに、生花や小物などを合わせて飾られていました。人形は実家に保管していたもの、伯母や叔父のところから借りてきたもの、今回の展示会用に私が仕上げたものを展示していただきました。それ以外にも母の作品はもっとたくさんあるはずなんですが、どこかへ配られ、行き先が分からないものが多数です。

私が会場にいた時、30人くらいはお客さんがいました。今日から7日まで開かれるので多くの人に母の作品を見てもらい、何かを感じ取ってもらえたらと思います。

59歳の誕生日(2008年8月20日)

今日は母の誕生日。生きていれば59歳になります。お盆に帰省していた時に、一足早くケーキを作り仏壇の前で乾杯しようと思っていましたが、時間の都合で出来ませんでした。今日は多分、弟がケーキを買って帰るだろうと思い、何もしませんでした。

今後もこの日を忘れることは決して無いと思いますが、何もしない=忘れられている・・・と思われても嫌なので、来年はやっぱり何かしようと思いました。世間で大騒ぎする数ある○○の日よりも、何よりも1番に誕生日を大切にしていた母でしたから。

母の三回忌(2009年4月11日)

早いものでもう三回忌を迎えました。この2年本当にあっという間でした。最近では涙は全く無いわけではありませんが、母が亡くなった最初の1年間に比べれば随分減りました。時々そんな自分が薄情な気がしてなりません。決して母のことを忘れたことはありませんが・・・。

この法要が最後の出席になるかもしれないとうことで、今回は祖父も高知から来てくれました。親より先に死にたくはないし、子供にも先には逝って欲しくない・・・でも、祖父みたいに長生きしていれば、いろんなことがあるんだろうなと感じました。

法要後、母のお墓へ行き、ばぁはここにいるんだよ(という表現が合っているのか不明ですが)と次男に説明すると、不思議そうな顔をしていました。そうよね、お空の国にいるはずだもんね。最近、次男が母のことに興味を持ってくれているのが分かって、安心したというか嬉しい気持ちになりました。

母が入院したのは次男が1歳3ヶ月の時、亡くなったのが2歳2ヶ月の時です。覚えていなくても仕方ないと思っていましたが、意外と覚えていて、ビックリすることがあります。最近、母が着ていた部屋着を私が着ていたら、『あっ!それ、ばぁが病院で着ていたやつでしょ』とか、『ガラスのお部屋にいたよね~』と言ったこともありました(移植を受けた時の無菌室のこと)。
ばぁのことを忘れないでいてね。ずっと覚えていてあげてね。

3回目のお盆(2009年8月12日)

母が亡くなって、もうこれで3回目のお盆を迎えます。まだどこかにいるような、そんな気分になります。遺影の母は相変わらずこっちを見ています。四六時中、私たちのことを空から見守っているであろう母に、恥じない人間になろうと思いつつ、母として妻として1人の人間として、なかなか理想的な生き方ができずにいます。いつか母に追いつきたいと思っていますが、その日はまだまだ来そうにありません。

母が亡くなってから、家の様子が多少変わったところはあるけれど(庭とか外壁とか車とか)、ドレッサーだけは今も当時のままです。ドレッサーに座って身支度をしていると、化粧品の匂いや母が使い込んだメイク道具、母が身近に感じられるものに囲まれて何だかとても安心できるのです。母がいてくれたらどんなに良いだろう。叶わない願いと分かっていても、未だにそんなことを考えてしまいます。

60歳の誕生日(2009年8月20日)

今日は母の60歳の誕生日でした。還暦の時には、赤いドレスを着て写真を撮ろうねって約束していたのに・・叶わなかったね。

3回目の命日(2010年4月17日)

母の3回目の命日でした。今年もあの日と同じ、良い天気、爽やかな朝でした。母が亡くなってすぐに、母の着替えを取りに家に帰った時、空がとても高くて、キラキラしていたのを思い出しました。悲しくて悔しくてどうしようもない気分とは裏腹に、空がとても爽やかだったからなのか、深く印象に残っています。

丸3年、こうやって月日が経って、母のことがどんどん過去のことになっていくのが嫌です。怖いです。

お墓(2010年8月13日)

午前中のうちにお墓に行って、お盆用に新しい花を生けました。この暑さなのできっとすぐに水が乾いて、ダメになってしまうんだろうなぁと思いつつ。

数日前に次男に言われたことをふと思い出しました。『ばぁの骨はどこに行ったの?』と次男に聞かれたのです。『お墓の石の下のところに入っているんだよ』と答えると、『なんでお墓の下に入れちゃったの?』と。次男が言うには『お墓に入れたら可愛そう。ずっとお家に置いておけばいいのに』と。

確かに次男の言う通りで、私も母の遺骨を納骨する時に、精神的にかなり苦しみました。『そんなところに1人入れてしまったら可愛そう』と次男と全く同じことを思っていました。今はどうか?と聞かれたら、全く吹っ切れたわけではありません。できれば家に置いておきたかったというのが本音です。ここに母が入っているのかと思うと、切なくなります。

61歳の誕生日(2010年8月20日)

今日は母の61回目の誕生日でした。母が亡くなってから、この日を迎えるのももう4回目になります。もし今も元気でいたら、どんな風に年を重ねていったんだろう・・と思います。

4回目の命日(2011年4月17日)

4回目となる命日を迎えました。春と言えば、桜を連想する人が多いと思うけれど、私にとって桜の季節は寂しい季節なのです・・・。病院で過ごした最期の日々、病院の正面玄関に咲いていた桜の花が忘れられません。

お母さんがいなくなってから、家族がまた1人増えたよ。お母さんと名前がよく似ているでしょ。お母さんみたいな女性になってもらいたい。そういう願いも込められています。

三男を出産する時は、とても後ろめたい気がしていたけれど(お母さんに会わせたり抱かせたりしてあげられないので)、今回はそういう気持ちはありません。お母さんのことだから、私が呼ばなくても会いに来てくれていると思うから。お母さんの性格を考えると、日々忙しく、自宅や高知の方、兄のところや我が家など、あちこち訪問しているんだろうな・・・と思います。

いつでも遠いところから見守ってくれていると信じています。でも会えるものなら会いたい。会って話がしたいです。

5回目の命日(2012年4月17日)

今日は母の命日でした。あれからまた1年が経ち、とうとう5年を迎えてしまいました。従姉から鈴蘭の写真が届きました。母から株分けされたものです。我が家のベンジャミンも一旦寒さでやられてしまったものの、私が枝を分けてあげていたお友達からまた分けてもらい・・・今、50cmくらいになり葉も青々と茂っています。母はいなくなってしまったけれど、こうやって母が残してくれたものがどこかに存在し、今も命をつないでいると思うと嬉しくなります。

母がいなくなってから・・・時が経つのがますます早く感じるようになりました。次の命日を迎えるのもあっという間だろうと思います。こんな調子で気が付いたら10年、20年と経ち、私は母と同じくらいの年齢になっているのかな。

ドナー登録を解除(2012年7月10日)

2007年5月に骨髄バンクにドナー登録しましたが、解除の手続きを取りました。2008年春に三男を妊娠したのを機に提供保留にしていましたが、この先いつになったら提供できる状況に戻れるか分かりません。何年も保留を続けるのはどうかと迷っていた末の決断でした。三男の病気の重さを考えたら恐らく再開できる時は来ないだろうし、仮に来るとしてももっともっと先のことです。登録は採血や簡単な問診でできるので、その時が来たらまた登録し直してもいいかなと思いました。

結局、提供することはありませんでしたし、適合通知さえ届くことがありませんでした。母のように悲しい思いをする人が1人でもいなくなれば・・・1人でも多くの人に生きるチャンスをあげたい・・・そう思って登録したのに、私は誰の役にも立てませんでした。今は目の前にいる我が子のことが最優先なので仕方ないのですが。

63歳の誕生日(2012年8月20日)

今日は母の63歳の誕生日でした。母の誕生日に便乗してケーキを作ってみんなで食べました。今頃何をしているのかな。時々は遊びに来てくれたりしているのかな。

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