乳がんの話

母は過去にもガンを患ったことがあります。1984年(昭和59年)母35歳の時のことでした。当時、8歳だった私には母の病気の重さなど理解できませんでした。
母が入院する時、私や兄弟は祖父母の家に預けられました。その少し前、電話で誰かと話をしながら涙ぐんでいた母の姿を覚えています。でもその涙の理由が分かりませんでした。

1984年春くらいでしょうか、時期ははっきりと分かりませんが、結構早い段階で母は乳房にしこりを見つけ、ガンを疑ったようです。悩んで悩んで胃が痛くなるまで悩んで、病院を受診するけど、外科医に『違う』と一言言われ、検査も何もしてもらえませんでした。ですがしこりは消えることはなく、母の疑いも消えることはありませんでした。

当時、父の仕事の関係で田舎に住んでいて、他に病院はなく、そこはその町唯一の公立の総合病院でした。母は何度か『私はガンですよね?』と外科医の元へ行ったようですが、『違う』と追い返されるばかり。そしてついに母自らが生検を申し出て、やっと外科医も『違うと思うけど、してみる?』という感じで応じてくれたそうです。何とそのヤブ医者(汚い言葉ですみません、本当に憎いので。)、麻酔が効かないうちにメスを入れたそうです。どこまでヤブなんだか・・。
そして『やっぱりガンだったね、手術はいつする?』というのん気さ。当然、そんな病院に命を預けられるわけはなく、母は即答で大学病院への転院を申し出たようです。大学病院は遠いところにあったので、それで幼い私や兄弟は預けられたのです。

余談ですが、父もその病院で殺されかけたことがあります(すみません、また汚い言葉で・・)。その当時は転勤して、もうそこには住んでいなかったのですが、たまたま出張でその町に行った時、父は持病の十二指腸潰瘍が悪化し、腹部の激痛に耐え切れず、例の病院に担ぎ込まれました。何と穿孔(せんこう)性の腹膜炎を起こしていたのです。
またまたヤブな病院は、腹膜炎を起こして命の危険にさらされているのに2~3日もそのまま放置、しかも食事まで摂らせていました。十二指腸に穴があいているのに、食べさせるので、食べ物は体内に散り、大変なことになっていました。

すぐに救急車で、今、母が入院している総合病院に転送搬入され、緊急手術、数日持つか持たないかと宣告を受けました。父は奇跡的に回復し、2ヶ月ほどで退院できました。無事に退院できたから良かったようなものの、母のこともあるし、訴えようかとも思いましたが、母はその病院に関わるのも嫌だと言っていました。

母は右乳房全部とその周辺、脇のリンパ節を摘出する手術を受けました。皮膚をギューっと引っ張って縫い合わされた傷跡は痛々しいものでした。何しろ、脇の部分かな?と思われる皮膚が右乳房のあった辺りにまで引っ張られているのですから。
母は子供(私や兄弟)のことを理由に、術後早々に退院しました。湯船の中で、動かない右手のリハビリを手伝ったことを覚えています。母は痛さに顔を歪めながらも、『手が動かないと困るから』と言って頑張っていました。

再発もなく5年が過ぎて、母は完治宣告を受けました。母にとっては長い長い5年だったと思います。
5年間、母は常に再発の恐怖と闘っていたのだと思います。私は手術成功=治ったとしか思ってなく、深刻さが理解できていませんでした。でも大人になった今、今度は母と一緒に、兄弟たちも一緒にみんなで闘っていこうと思います。きっと母も心強く思ってくれている・・はず?かな?・・どうだろう?

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